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2007.02  
  ラグビーの現役を引退し、教育の道を志し、感性教育をテーマに活動をしてきましたが、はや10年の月日が過ぎました。遅々たる歩みながら続けてきた感性フォーラムも64回を数え、体験者も500人を超えました。

  今ここにきて、私の人生のワンテーマが明らかになってきたような気がしています。それを表現するなら「湧き上がる」という言葉になるのではないかと思います。

  思えば湧き上がる体験をするために、ラグビーをプレーし、引退後は湧き上がる体験を伝えようと感性フォーラムを続けてきました。湧き上がった瞬間、飾ることが出来ず、作ることも出来ず、とめどなく涙があふれた瞬間に、そこに紛れもない私がいて、真実の瞬間がありました。

  人生の中のさまざまな出来事と向き合い、心を揺さぶる事により、湧き上がってくる元である感性が開発されていきます。人間の夢や希望や憧れも、この感性の中からしか湧きあがってきません。

  ある哲学者は「人間は感動している時だけだ、自分が自分に返れるのは。これは天与の英知だ。感動できない人間は自分が自分からバラバラだ。感動した時に自分が自分に戻る。生きていることが鮮やかになる。生が鮮やかになる」と言いました。まさに鮮やかに湧き上がるものを求めての今までの人生であったような気がしています。

  しかし一方で現代は「乾いた時代」だと言われます。世の中の湿り気や潤いが乾いてしまって、何となくパサパサ、あるいはカサカサとしているのではないでしょうか。例えば家を作るにしても、湿式工法から乾式工法へ変わってきました。昔の家は湿式工法で立てられ、漆喰を練ったり、セメントを混ぜたり、家を建てるにしてもたくさん水を使いました。ところが現代は、乾式と言われる工法で、水を使わずに家が建ちます。同じ様に時代とともに、日々の生活の中で、水分気が減ってきているのではないでしょうか。

  お絞りでもぬれている時はずっしりと思いのですが、乾いてくるとカラカラになって、軽くなってしまいます。同じ様に生活の中の水分気が乾いてしまって軽くなってきました。生きていることや、命が軽くなると、自分の命を絶ったり、人を殺したりします。そんな中で今必要なのは潤い、適度な湿り気ではないでしょうか。そしてその湿り気は、汗や涙、心の揺さぶり、湧き上がるものの中からから生まれるのではないかと思います。

  今時代の要請として適度な湿り気や潤いが求められ、感性教育が益々重要になっているのではないかと考えています。
今後も感性開発の道を求めて参りたいと思っています。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

2006.07  
暑中お見舞い申し上げます

いつの間にか梅雨も上がり、太陽の陽射しが強くなって来ました。そういえば蝉も一気に鳴き出しましたね。いよいよ本格的な夏がやってきたようです。子供の頃は夏休みを指折り数えていたものですが。今年はふと気がつけば夏になっていたという感じです。

今日は街の景色が、白くまぶしく見えました。以前エジプトのルクソールを訪れた時に見た、砂漠の白いまぶしさを思い出しました。今年の夏も暑そうです。かなり紫外線が強いのではないでしょうか。地球の温暖化等の現象で無ければいいのですが…。それでも湿度は高めなようですね。本来日本の文化は四季の移り変わりと、この湿り気が創ったものではないでしょうか。

サッカーのワールドカップは終わりましたが、日本と違ってヨーロッパには意外と森が少ないのだそうです。昔の森林は伐採の後、草原や丘になったのだそうです。ドイツでは公園を表す『パルク』という言葉の語源は、開発されずに残った荒地を意味するのだそうです。

江戸時代、豊かな緑の風土を持った日本が、人口を増やしていったのに反して、ヨーロッパではペストの大流行により、人口が激減しました。過度の森林の伐採、環境破壊が、ペストの大流行の原因になったのではないかと言われています。

現代は「乾いた時代」とも呼ばれていますが、やはり自然環境そして人間の心にも適度な湿り気が必用ですよね。心に湿り気を与える夏の催しも、各地で催されるようです。祭りに、花火に、盆踊り。海水浴、スイカ割り、肝試し…など。私は今年も故郷徳島に帰り、阿波踊りを踊ろうと予定しています。

暑いときは暑さの中に浸り切って、この蒸し暑さを、思いっきり楽しみたいものですね。

 


2006.03
継続してきた感性フォーラムも、3月16〜18日で60回目の開催を終えました。

ラグビーの現役を退き、これから何を主題として生きて行こうかと迷い、そんな中で、一度の人生、何時死ぬか解らない人生、ラグビーで体験した感動を伝え、湧き上がるものを伝え続けていけたなら意味があるのではないかと、教育の道を志し、感性フォーラムを手がけてきました。

感性トレーニングの師匠行徳哲男先生の鞄持ちをし、トレーナーの勉強をし、受講生を集め、フォーラムをはじめ、遅々たる歩みではありましたが今日まで継続してきました。

師匠に憧れ、あの人のようになりたいと思ってきましたが、その人にはなれない事も、私は私であり、なる必要もないことが良く解ってきました。最も研修自体が紛れもない自分で生きるための研修でありながら、そんなことに気付くのにも多少の時間がかかりました。瞬時に感情移入して、そして瞬時にして観察する、パティシペーションとオブザベーションの切り替えと、気付く瞬間()を見極めることが出来なければ、研修は出来ないと言われましたが、本当の味噌のところは教えてもらえず、自分でやるしかないとスタートを切りました。今になってわかるのは、教えることは出来ないという事で、やっぱり自分でつかむしかない、こんな事も渦中では気付きませんでしたが、そこを過ぎると良く見えてきます。

セッションが硬直しどうして良いのかわからなくなりそうな中、どこかにきっかけがあると信じてやってきました。始めた頃は、研修の1週間くらい前から緊迫感が高まり、憂鬱になり、ラグビーのテストマッチ前よりも緊張し本番を向かえる事も何度もありましたが、最近は苦しい研修、緊迫の中に、人間にとって一番美しいものが見えると、新たな体験や出逢いを楽しみに出来るような心境になってきました。

暗中模索でここまで来るのに本当に時間がかかったという気もしますが、やはり必要な時間だったんではないでしょうか。60回開催すればやはり心境も変わってきました。100回やれば100回のまた違う心境があるのではないかと思います。

先日稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談「何のために生きるのか」を読んでいたら、五木さんが「人の心が乾いた時代。湿り気が失われて命までが軽くなっている。今までの日本になかった危機であり、今必用なのは情操の教育だ」と語っていました。情操教育とはまさに私の行なっている感性教育のことでしょう。

子供に「どうして人を殺してはいけないの」と問われ、マニュアルを作ってくれと先生が言うんだそうです。「どうして」ではなく、「いけない」と感じる元、体から湧き上がってくるものの一番元が感性ではないでしょうか。

腹の中から湧き上がる体験、共に感じあう、そんな体験をすることにより、感性を育むことが出来る(湧き上がる体質を作る)のではないかと考えています。何に対しどう感じるか、人は感じるから行動するのであり、これが人生を決めていくのではないでしょうか。感じる力がなかったら、湧き上がるものがなかったら、自分が自分でなく(アイデンティティークライシス)鮮やかに生きていくことが出来ません。湧き上がることのできるもともとの体質を作らなくては、何かに対して熱くなったり燃えたりする事も出来ません。湧き上がる思い、涙や怒りや笑いの無い所から、夢や憧れが湧いてくるはずもありません。

感性論哲学を説いた芳村思風先生は、感性には、統合する作用、調和する作用、合理化する作用があると言っています。小林秀雄のせりふには「人間は感動しているときだけだ、自分が自分に戻れるのは。これは天与の英知だ」とありますが自分を自分にもどしていくもの、統合し調和させるもの、それが感性であり、今一番求められているものではないでしょうか。

先日久しぶりに感性フォーラムの同窓会を開き楽しい時間を持ちました。一期一会による直心の交わり。立場や年齢、役割、利害を超えた、今ここの出逢いをこれからも求めて生きたいと思っています。

2006.01
 新しい年がスタートしました。皆さんは今年をどんな年にしたいとお考えですか?やりたい事やらなければいけない事、たくさんありますよね。私も夢に日付を付け、やるべきことを具体的にし、成果の上がる、いい年にしたいなと思っています。

 今年に入ってもうすでにいろんな事がありました。まずはラグビー関係ですが、年末年始にかけては、高校ラグビーの解説をずいぶんしました。伏見工業が4度目の優勝を果たしましたが、パスのタイミングが抜群に上手く、運動量も多く、基本がしっかりと出来ているなと感心しました。

 同志社は準々決勝の帝京戦では素晴らしいラグビーをしましたが、準決勝で関東学院に敗れてしまいました。まじめに、ひたむきに、練習したと、頑張りは認めますが、早稲田の快勝を考えると、もう二回りくらい強くなる必要がありそうです。中尾監督は日増しに悔しさが募ると言っていましたが、準決勝敗退のここからが本当のスタートだと思います。

 神鋼はマイクロソフトカップ1回戦で東芝に大敗しました。トップリーグで5位だったため、日本選手権には出られず、早い時点でのシーズンオフになってしまいました。

 優勝後新宿で飲み会をやっていた頃が懐かしいです。もう一度強い神鋼を取り戻してほしいものです。

 1月15日には吹田ラグビースクールで、今年初めてのラグビー寺子屋を開催しました。200人近い少年ラガーやコーチ、そしてご父兄が参加してくれました。

 活動を発展的に継続するため、NPO『ヒーローズ』の設立準備をしています。『ヒーローズ(HEROES)』は誰もが人生のヒーローになってもらいたいという思いとH(Happy Health Human)とE(Education Emotion Encounter)に関わることをやりたいということから付けた名前です。節分までには書類をそろえ、申請を済ませる予定です。名刺、パンフレット等も製作し、タイミングを見計らい、設立パーティーもやりたいと考えています。今年12箇所以上でラグビー寺子屋を開催する等、色々と活動のイメージが広がり、それを具体化し実現しようと楽しみにしています。

 今年初めての感性フォーラムも無事終了しました。今回で59回目、2泊3日、受講生の方たちと同じ時間・空間を共有し、さまざまな人生に共感させて頂きました。毎回たくさんの方との出会いがあり、人の輪が広がって行くのを嬉しく思っています。受講された皆さんのご活躍が楽しみです。

 先日「おのずからとみずからのあはひ」と言う言葉を聞きました。「おのずから」と言うのは、おのずからそうなるもの、自然とそう動いていくもの、まあ宇宙の働きみたいなものだと思います。「みずから」とは私と言うことですよね。「あはひ」と言うのは簡単に言えば「間」と言うことですが、間合いが最初からあってそこに入っていくのではなく、自分がいることによって、新しく生まれ常に生成していくそんな関係を「あはひ」と言うのだそうです。心と言う私的なものを持って、公と言える体を持っている私「みずから」が、社会や世界「おのずから」に対しどんな「あはひ」を作っていくか、これが人生ですよね。

 もともと人という字は、「ひと」と書きますが、「ひ」は霊と言う意味を持ち、「と」は戸、扉と言う意味を持つのだそうです。「ひと」とはそこから魂が生まれ、また消えていく、そんな意味を含んでいますが、そういう意味で私が生まれるがゆえに生まれる「あはひ」があります。「あはひ」を生きる人の事を「人間」と言い、生きている「とき」を「時間」と言い、「ところ」を「空間」と言うのです。私たる心と公たる体を持った「みずから」が、「おのずから」のものに対し、どんな「あはひ」を生きていくのか、いかに公共を作っていくかが人生ですよね。

先日枚方パークの菊師の方が、「あなたが師匠から教わった事は何ですか」とインタビューされ、「菊を作らず人を作れ」と言うことだと答えていました。菊を作ろうと思うよりも、おまえ自身を磨けよと言うことでしょうか。私「みづから」を磨くことにより、社会「おのづから」との関わり「あはひ」が変わっていく。やはり自分を磨かないといけないですよね。

 今年はNPOの活動の外に、キャリアコンサルタントの勉強をする予定です。チームビルディングという切り口の研修も立ち上げようと考えています。その他、やりたいこと、やるべきこと、色々ありますが、まずそれらを書き出して、日付を入れることからスタートしようと思います。具体的な行動を通じ、自分自身を高めていくことが出来れば、そして成果の上がるいい年にしたいなと思っています。

2005.06    
 3月からスタートした「将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋」も無事に7回の開催を終えました。震災復興10年イベントとして私も何かをやろうとラグビー寺子屋を企画しましたが、多くの皆さんの御協力を頂き、無事成功裡にイベントを終える事ができました。

 参加してくれた少年ラガー、コーチ、先生、ご父兄、また協賛を頂いた方々、取材をしてくれたメディアの方々、パンフレット、Tシャツ等の作成にかかわってくれた方々、そうして私と一緒に子供達とふれあいラグビーを教えてくれたラグビー仲間等、合わせれば1000人近くの人たちが参加してくれたのではないかと思います。本当に皆さんのお陰でラグビー寺子屋ができたと、感謝の気持ちで一杯です。

 やはり何かを始めると、証が生まれてきます。一緒にグラウンドで過ごした子供達の目の輝きと、笑い顔、笑い声が、指導にいった私達にとって何よりの贈り物でした。感動的な感想文も多く頂きました。そうしてコーチやご父兄との飲み会や、ラグビー仲間の打上げも貴重な時間でした。このイベントを通じ多くの方と出会い楽しい時間を過ごすことができました。また、お話させていただいた、大元氏や、私のラグビー人生の話も、聞いてくれた方々の心のどこかに残ってくれるものと思います。

 メディアもずいぶん取り上げてくれました。NHK、毎日放送、関西テレビで放映され、朝日新聞、読売新聞、産経新聞、神戸新聞、徳島新聞も取り上げてくれました。ラグビーマガジンにも掲載され、人材育成の専門誌、人材教育でも紹介される予定です。これは単にラグビー指導をし上手くなれば良いと言うだけではない、ラグビー寺子屋の思想や哲学、公共性を認めてもらえた結果ではないかと、喜んでいます。

 今友人の映像製作会社で活動記録を作ってもらっています。感想文や写真を添えて報告資料を作成し、お世話になった方々への御礼にしたいと思っています。

 今回だけの短期のイベントで終わってしまうのではなく、今後も発展的に活動を続けていければと思っています。

 皆様、本当にありがとうございました。

ラグビー寺子屋応援サイト_活動記録/予定
http://www.rugby-terakoya.com/activities/index.html

2005.02.05    
  新しい年になり、早くも1月余りが過ぎました。私はこの間、よくラグビーグラウンドに通いました。花園での全国高校大会、学生選手権にトップリーグ、そしてマイクロソフトカップ。ブログにも書きましたが、全国高校大会では準決勝・決勝と全試合の解説をしました。副音声を初めてやりましたが、アナウンサーに振られた時にパッとコメントしなければいけない解説と違い、結構何でもしゃべりたい事の喋れる面白さを感じました。神鋼はマイクロソフトカップNEC戦では素晴らしい試合を見せてくれましたが、東芝戦では大敗を喫し早くもシーズンを終えてしまいました。不本意な結果ではありますが、増保監督も1年目、真価を問われるのは来年だと思います。新しいチームに生まれ変わって、勇姿を見せてくれる事を楽しみにしたいと思います。
 ところで土星人(+)の私の今年の運勢は、……実はこれが大殺界の最初の年なんだそうです。そう聞いただけでなんだかついて無さそうな気がしますが、まあ当たるも八卦当たらぬも八卦、要は気の持ちようですよね。まあ運勢に負けずに元気に行くぞと言うところでしょうか。
 まあそんな話はさておき、今年は、戦後60年、そして阪神淡路大震災10年の年に当たります。10年前の大震災は神鋼7連覇の直後で、東京で用事があり居残りしていた私は、実際に震災の揺れは体験していませんが、帰ってきた神戸の光景は目に焼き付いています。尼崎の会社遊休地で運営していたマウンティンバイクコースの自転車を借り、倒れた高速の横を通り、倒壊した家々の間を縫って神戸に帰りました。
 岩屋にある神戸製鋼の本社は全壊、近辺は軒並み家が全壊し、特にひどい状態でした。倒壊した家に埋もれて瞬時に圧死した方々、生きていながら瓦礫をのけて助け出す事ができずに亡くなった方々、埋まっている所へ火が迫り「もう私は助からないから逃げてくれ」と家族を気遣いながら焼かれていった人達もいたようです。遺体安置所には、いつまでたっても誰も訪ねてこない身元不明の遺体や、亡くなった幼い子供に1晩中絵本を読み続ける人の姿もありました。
 家族を亡くした方や、避難所生活を余儀なくされた方が多い中、私の家は潰れずにすみましたが、余震の続く中、ライフラインの無い生活が続きました。トイレを流すために近くの高校のプールで水をくみ、懐中電灯とロウソクで過ごしました。食料が全国から会社の復旧本部に届けられ、各地の避難所に配ってまわりました。
 暫くして風呂屋がオープンした時は嬉しかったです。寒い中、一人出たら一人入れると、皆行列を作って順番を待ちました。風呂桶を持ちながら、不思議と回りの人たちと違和感無く話しをしました。
 私は膝の手術の回復が思わしくなく、靭帯を止めたスクリューが緩んだため再手術を受けたところでした。神鋼のラグビーグラウンドは液状化でひび割れができ、暫くは瓦礫の置き場となっていました。私にとっては再起を賭けたシーズンだっただけに、電気のつかないクラブハウスでウエイトをし、瓦礫の回りを走ってはトレーニングをしました。神戸は大変な状態でしたが、西宮・尼崎を越え大阪まで出ると、そこには震災など思いもよらない平常と何ら変わらない人々の生活があるのを不思議に思いました。

 10年前の大震災のほんの1シーンですが、早いものであれから10年が経ち、神戸の街並みは当時の面影を感じさせないほどに復興しました。今年は、大震災10年記念事業として、いろんなイベントが神戸から発信されています。そんな中で私にも何かできることはないかと考え、『将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋』を企画しました。震災で体験した、「命の大切さ」「人とのつながり」「生きるという事」「感動」「感謝」「人との出会い」等を、私が愛したラグビーを通じて、将来を担う将来世代に対し伝えていければと思っています。
  実は先日ある先輩に、マイヒーローの話を聞かせてもらいました。少年の頃、とても内気で暗かった彼は、スキーに行った時、カッコ良いインストラクターに出会いました。「カッコ良くてモテモテで、あんまりカッコ良いからレッスンに指名した。親しくなって、その人にあこがれその人の真似してやってきた。その人との出会い、それが僕の転機だった。彼は僕のヒーローやねん。ヒーローに出会えた僕は幸せだったんや」。
 その方との出会いが先輩にとって人生の転機であったのだそうです。親しい付き合いをしながらも、10年前に残念ながら若くして亡くなった。先輩は今でも命日に花を届けているのだそうです。
 これがマイヒーローの話です。そう言えば少年の頃、私にもヒーローとの出逢いがありました。ラグビー少年だった私に、大きな夢を語ってくれて、お前はできるよと勇気付けてくれました。そんなきっかけで、本気で日本代表選手になろうと思い、憧れ、ラグビーを続けてきました。その人が与えてくれた夢が、私の原動力となっていました。私もまたヒーローに出会えた一人だったと思います。
 今私は教育の仕事をしていますが、教育とは夢を語る事だと思っています。あるいは火をつける事とも言えるでしょう。人は火がつけば勝手に燃えるのです。火をつけるためにも私は燃えていたいと思います。ビジネス研修の世界では難しい事かもしれません。しかし心のしなやかな少年少女達を刺激してあげられたら、マイヒーローになれたら、それが将来世代にどれだけ大きな影響を及ぼす事でしょう。
 私自身は本当に不完全な人間です。偉そうなことをいえた柄ではありません。でもそんな私でもひょっとしたら誰かのマイヒーローになれるかもわからない。まずは私の愛したラグビーの世界から始められたら……。将来的にはラグビーと震災の体験を、今テーマとして取り組んでいる感性教育、そしてスポーツ教育と言う分野に統合していければ、発展させていければ……と、『将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋』にはそんな夢を託しています。

 大震災で亡くなった、また大震災を体験した人々の、そして日本の、世界の人々の魂が、安らかである事を祈りたいと思います。

「将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋」についてはブログをご覧下さい。


2004.12.16
image photo  今年も残すところあと僅かとなって参りました。暖かいのとあまりにも月日の経つが早いのとで、まだ年の瀬という感じがしていません。しかしながら忘年会はしっかり続いてて、こちらのほうは着実にスケジュールをこなしています。
余談ですが忘年会の年を忘れると言うのは、今年の事を忘れるのではなくて、自分の年齢を忘れて上下分け隔てなく親しく接する事なんですよね。とは言うものの、お目にかかる方の年齢が気になって、ついつい聞いてしまうのは、やはり体育会系の性でしょうか(もちろん失礼な場合や女性には聞きませんよ)。
今年一年いろんな出来事がありましたが、何よりも元気に暮らせたのは本当にありがたいことだと思っています。うまくいかないこともありますが、健康に働けて、うまい酒とうまいもの食えて、仲間がいて幸せな事だと思います。誰かのせりふじゃないですが「生きてるだけで丸儲け」ですよね。
ラグビー大学選手権、高校選手権も、もうすぐ始まります。トップリーグが始まり、ラグビーシーズンが長くなり、ラグビーの季節感もちょっと変わってきましたが、これからの休日は花園通いの予定です。スティーラーズ、同志社の活躍を楽しみにしています。年末年始は高校ラグビーです。
ホームページの方は相変わらずののろい更新ですが、10月よりブログを始めてこちらのほうは結構マメに記事を書いています。今後は近況の報告はブログで、対談や取材、あるいはイベントなどのボリューム的に大きいものはホームページに掲載するようにしていきたいと考えています。まずは神戸のミニコミ誌の対談を、定期的に載せていこうと思っています。まず1回目は平尾氏との対談です。楽しく話が弾みました。読んでみてください。
話は変わりますが、もうすぐ震災から10年になります。神鋼ラグビーがV7した直後の出来事で、今も記憶に鮮明です。10年を迎える今、私にも何かできることはないかと考え、将来世代育成プロジェクト〜「ラグビー寺子屋」を企画しています。活動を通じて、震災で感じた「命の大切さ」「人とのつながり」「生きるという事」「感動」「感謝」「人との出会い」等を、将来を担う将来世代に対し伝えていければと思っています。寺子屋活動については別途ホームページで発信しようと思っています。
実は先日先輩と食事をした時、マイヒーローの話を聞かせてもらいました。先輩いわく「少年の頃は内気な暗い子供だった(とてもそんなふうには見えませんが)。スキーに行った時にカッコ良いインストラクターがいた。カッコ良くてモテモテで、あんまりカッコ良いからレッスンに指名した。その彼に『何でもっと積極的にならないの、君が声をかけたら女の子だって君の事を好きになってくれるかも解からないんだよ。君が行動したら、そこから何かが始まるんだよ』そういわれ、その人にあこがれその人の真似してやってきた。その人との出会いそれが僕の転機だった。彼は僕のヒーローやねん」。
その方との出会いが先輩にとっての転機であったのだそうです。親しい付き合いをしながらも、10年前に残念ながら若くして亡くなった。先輩は今でも命日に花を届けているのだそうです。
これがマイヒーローの話です。そう言えば少年の頃、私にもマイヒーローがいました。日本代表選手に憧れ自分もそうなりたいと思ってラグビーを続けてきました。そんな憧れが私の原動力となっていました。
今私は教育の仕事をしていますが、教育とは夢を語る事だと思っています。あるいは火をつける事ともいえるでしょう。人は火がつけば勝手に燃えるのです。火をつけるためにも私は燃えていたい。ビジネス研修の世界では難しい事かもしれません。しかし心のしなやかな少年少女達を刺激してあげられたら、マイヒーローになってあげられたら、それが将来世代にどれだけ大きな影響を及ぼす事でしょう。
私自身は本当に不完全な人間です。偉そうなことをいえた柄ではありません。でもそんな私でもひょっとしたら誰かのマイヒーローになってあげられるかもわからない。まずは私の愛したラグビーの世界から始められたら…。将来世代プロジェクト〜「ラグビー寺子屋」にはそんな夢を託しています。
これから寒くなっていくと思いますが、お体大切になさってください。また更新に時間がかかるかもわかりませんが、引き続きホームページもよろしくお願い致します。

2004.10.02
 実りの秋、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋ですね。今年の夏は7キロほど減量したのですが、「天高く馬肥ゆる秋」になって少し戻ってしまったようです。

 ラグビーシーズンも始まりましたし、プロ野球の問題や、イチローの活躍や、ベルリンでの渋井選手の日本新、パラリンピックでの日本選手の活躍等、スポーツの世界もニュースが絶えません。そんな中で、私の中には、夏のアテネオリンピックの余韻が残っています。

 先日神戸のミニコミ誌の対談で、アシックスの鬼塚会長とお話しました。オリンピックでの女子選手の活躍に、いよいよ女性の時代だとおっしゃってました。柔道やレスリングの話と共に話題に上がったのは、マラソンの野口選手の話でした。

 アテネの道は路面が固く大理石が混じり、水をまくから滑りやすくて、どういう靴底の靴にするかというのが大きなテーマであったんだそうです。前半にアップダウンがあり、6キロ過ぎから17キロ位まで下りの続くコースを何度も下見をし、下りで極力足に負担がかかず、20キロから30キロの上りのどこかでスパートするための、柔らかい靴底の靴を作ったそうです。野口は「技術者を信じこのシューズに全てをまかせます」と、前の晩はシューズを抱いて寝たんだそうです。他の2人の選手は履き慣れたシューズがいいと、硬い靴底のシューズを択んだんだそうです。

 走り終わった後、野口はシューズにキスをしましたが、そこには人と人との信頼のコラボレーションがあったのです。実力のある選手がひしめき合う中で、肉体はもとより精神力や素直さなどの心のあり方と、スタッフや道具、周りの環境、戦略等全てが整った時に勝利の女神が微笑んだのだと思いました。そして彼女の感謝の心の現われがシューズへのキスであったと思います。

 またシンクロ銀メダルのパーティーにも顔を出しました。去年の夏、井村監督や作曲家の大沢さんの阿波踊り視察のお世話をした関係で、ご招待いただきました。何よりも井村監督や選手達のスピーチに感動を覚えました。金メダルを取りたかった、そんな残念さは無くはなかったと思います。しかしここまでやらせてもらえたのは、皆さんのおかげだと心からの感謝のスピーチをいただきました。

 「ロシアに勝てない中で挑み続け、何人もにビデオを見てもらって『どこが違うと思いますか、何でロシアに勝てないんだと思いますか』と聞いてまわった。その時に綺麗事で耳障りの良い返事ですまさずに、真剣に意見をしてくれた人たちに本当に感謝します。どんな演技をしようかと考えて悩みぬいて行くうちにいろんな人と出会いました。そんな方たちが今日来てくださった。悩んで求め歩いた分だけ、今日は色々な分野から、多彩な人達が来てくれました。ハッピーエンドではないけれど、挑みつづける事ができた、ここまで頑張ってこられたのは、皆様のおかげです」と、涙ながらに話してくれました。話を聞いていた私にも、熱いものが伝わり、清々しく、さわやかな気持ちになりました。

 以前テコンドーの岡本選手に会った時も、「テコンドーの協会はよくもめたりするのですが、心に不満を持ってる時よりも、感謝の気持ちがあるときのほうが良いパフォーマンスが出来るんです」と話してくれました。話の中で何気なく語った言葉でしたが、大きな意味が込められているような気がしました。

 すべての事を自分が源と受けとめて、自立し当事者として自己責任で努力する人、足るを知り、現状に感謝し、さらに努力を続ける人にしか、勝利の女神は微笑んでくれないのかもしれませんね。愚痴を言えば天に唾するようなもので、全てが自分に跳ね返ってくるのかもしれません。心せねばとおもいます。

 全力を尽くして戦い、感謝する人の姿は美しいですね。見ているこちらまでが清々しくなります。私の心にはまださわやかな余韻が残っています。

2004.06.14
image photo 今日は日本晴れ、
梅雨だというのに、神戸は真っ青な空が広がっています。

からっとさわやかで、オフィスを抜け出して海にでも行きたくなります。

さっきまで「寒い日が続きますが……」の画面でしたが、
いきなり夏になってしまい、更新の怠慢さを反省致しております。
(内容は若干追加したのですが)
それにもかかわらず覗いてくれている皆様ありがとうございます。
お蔭様でヒット数も3万件を超える事が出来ました。
感謝、感謝です。

ここ何ヶ月間か何をしていたのかと言いますと、
3月末から4月一杯は新入社員研修の時期で、
かなり懸命に働いておりました。
5月6月は仕事は少し余裕ができたものの、勉強会、セミナー、
異業種交流会、飲み会と、相変わらずバタバタしていました。

仕事の関係もあり、最近人の「キャリア」について色々と考えるのですが、
どうやら私も今「人生半ばの過渡期」を生きている様に思います。
ユングは人生を太陽の動きになぞらえて、人生の正午という表現をしました。
彼は午前の登る太陽の勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背景に追いやったもの、
影になってしまっていたものを、しっかり統合していくのが、
人生の正午以降の課題だと言っています。
私もそろそろ人生を終わりから逆算できる年になってきました。
オレがオレがとがむしゃらにやってきましたが、その時の忘れ物をしっかり見つめて
自分の内面を深く探索しながら、真の個性化を進めていきたいものです。
第2段ロケットに点火して、新たな夢に向かって、人生を統合していければと思います。

最近、自分自身がワクワクできる、キーワードについて見直してみました。
夢、つながる、未来づくり、感動、感謝、出逢い、楽しさ、やすらぎ、ふれあい、
ラグビー、伝える、燃える、愛しあう、信じあう、家族、ヒューマン、仲間
の17のキーワードがうかびました。
これらのキーワードを生活の中でうまく生かすことが出来た時に、
私自身はワクワクと鮮やかに人生を送れるのではないかと思います。

未来を創る
   夢をえがき夢を語れ!


そんな言葉が浮かんできました。
そのためにも己を知り、信じる力、愛する力を身につけて、
出逢いを楽しみ、感動、感謝しながら生きてゆきたいものです。

2004.02.05
image photo 寒い日が続きますがお元気にお過ごしでしょうか?

と言いながらも、もう立春、暦の上では春ですが、でも今が一番寒い時ですよね。
相変わらず更新のペースがのろくて申し訳ありません。
何か気合入れて書かなくちゃと思うと、構えてしまって書けなくなってしまいます。

で、結局こんなざっくばらんな話題になってしまうのですが。
皆さんは年末年始いかが過ごされました?
私は田舎に里帰りしたり、ラグビーの解説をしたり、講演に行ったりと、
結構バタバタと新年を迎えました。

年末の話題と言えば、先輩とCDを製作しました。
年末にCDの完成を祝って、東京代官山でパーティーをやりました。
全国のCDショップでも、2月21日よりお買い上げいただけます。
(詳しい事は「A HAPPY DAY」発売によせてをご覧ください)

「神戸っ子」と言うミニコミ月間誌(毎月3万部発行)で、
「林のヒューマン対談」がスタートしました。
名前の通り私の対談コーナーですが、年間6人くらいの方とお話する予定です。
1回目は、後輩であり、スティーラーズのゼネラルマネージャーであり、
元全日本監督の平尾氏と対談しました。

昨日は、河島あみるさん(英五さんのお嬢さん)に会ってきました。
英五さんが始めた、阪神淡路震災復興支援、復興の詩コンサートも今年で10回目。
あみるさんと本当に久しぶりにお会いして、そんな話も含め、
英五さんの話や、新しくオープンしたカフェのこと等など、素敵な話が一杯できました。
(詳しくは別途書きますね、これがなかなか書けないんですが……)

それからなんと言ってもスティーラーズがトップリーグで優勝しました。
長丁場戦い抜いての勝利は本当に値打ちがあると思います。
若手のレベルアップで、去年とは違うチームに生まれ変わったのが、嬉しい限りです。
これからの、マイクロソフトカップ、日本選手権、楽しみにしています。
その他、先週のアエラに載ったり、ラジオに出たり、
フォーラムも無事終えましたし、またさまざまな素敵な出会いもありました。

ただ悲しい別れもあります。
大学時代を共に過ごしたラグビーの親友が亡くなりました。
年末に会ったところで、全然実感が湧きませんが、
今日は午後から東京へ彼に会いに行って来ます。
彼とは同じ2月生まれ、44歳にならずに亡くなってしまいました。
本当は今生きていると言うことは、奇跡的なことなんですね。
明日はわからぬ身ならば、今とここに、念いを込めて、
大切に大切に生きてゆきたいものです。
それでは皆様、時節柄ご自愛くださいませ。

2003.11.8
image photo 六甲山の山並みも色付いて参りました。

神戸は、本格的な紅葉の季節まで、あと少しという感じです。
ホームページを見ていただいている皆さんどうも有難うございます。
ホームページを開設し1年半経ち、
お蔭様でヒット数が20000件を超しました。
更新が滞る時もあるのですが、又覗いてやって下さい。
それでは時節柄お体を大切になさってください。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。


最近の話題ですが、

野球シーズンはダイエーホークスの優勝で幕を閉じました。
今年は阪神も大活躍で大いに盛り上がりましたね。
さてラグビーの方ですが、ワールドカップで日本代表は良く頑張ったと思います。
予選リーグ4敗ではありましたが、激しく食い下がっていく姿に、
感動されたファンも多かったのではないかと思います。
私自身、ずるずると押し込まれないモール、ラックサイドのディフェンス等、
ワールドカップ前の戦績が悪かったせいもありましたが、
ずいぶんと力を上げた、よく頑張ったと言う印象をもちました。

ただ、良い試合をしながらも、やはり勝つ事ができなかったのには、
課題と、残念さが残ります。

スコットランド戦の善戦で日本代表株はずいぶんと上がったと思います。
ディフェンスで粘りに粘りながら、最後に点差をつけられてしまった甘さが、
わかりきった話ではありますが、今後の課題でしょう。
たら、れば、の話になりますが、最後の最後勝負にもつれこんで、
勝てる試合をするためには、ミスから取られた2本のトライを抑え、
得点チャンス、ペナルティーなどを、パーフェクトで決めていくしか無いと思います。
それができなかったのが、善戦しながらも勝てない日本代表の実力であり、課題でしょう。
フランス戦も良く頑張ってましたが、
やはり世界トップレベルのチームだけあって、爆発力がありますね。
私もフランスとは何度か戦っていますが、1980年ツールーズで戦った、
3−23の初キャップの時がベストゲームでした。
フィジー戦は勝てるのではないかと期待が膨らみましたが、
キックオフのボールをワンバウンドさせてしまった甘さが、
全てを物語っていたように思います。
勝てるのではと言う、楽観的な雰囲気がどこかにあったように思います。
やはり格上の相手です。もっと謙虚にひたむきであるべきだったと思います。
何も代表メンバー達の考えが甘かったとか、気が抜けていた等と言う気はありません。
スコットランド戦、フランス戦での激しい消耗の後、
体が動かなかった事も理解しています。
ただ、期待が大きかった、特に国内のファンに対して、
楽観的な予想を流し、期待をさせた分だけ、敗戦の失望が大きかったように思います。
試合と直接関係は無いのですが、楽観的な報道の角度が、
ラグビーに対する失望感を大きくしてしまっているように感じてなりません。
私はフィジーとは、実際戦った事は無いのですが、
ワールドカップのレセプションで隣り合わせになった時の彼等の筋肉質な体、
体格に対し危機感をもっていました。
バックスは皆10秒台で走る走力があるのではないでしょうか。
その相手に、前半はスクラムやモールを押し込み、善戦しましたが、
後半風下になってからキック攻撃をかわせずに、
相手の思い通りの試合運びになってしまったのが残念でした。
あの滞空時間の長いハイパントをけるキック力、
そして走力を甘く見てはいけなかったと思います。
勝つためには風上の前半でどれだけリードできるかが鍵であったように思います。
アメリカ戦は、前半リードを許したディフェンスの甘さが
最期まで尾を引いたように思います。
後半1点差であれだけ粘りに粘ったディフェンス、
結局トライを許してはしまいましたが、あの粘りを前半にも見せて欲しかったものです。
もっとも私自身、キャプテンとして1987年の第1回ワールドカップに望み、
アメリカ戦の18−21を含め3敗で帰ってきたわけですが……。
今回のワールドカップ、日本代表は良く頑張ったと思います。
ただトップレベルの試合では、犯してしまった1つのミスが、
試合の流れと結果を決めるのも事実です。
厳しいようですが、プロ化し、格段に整備された環境の中で勝てなかったのは、
やはり試合に対する一抹の気の緩み、甘さがあったと言わざるをえないと思います。
日本ラグビー協会は、次回ワールドカップでの8強入りをめざして、
監督、キャプテン経験者からメンバーを選考し、委員会を設置するようです。
私にお声がかかるかどうかはわかりませんが、
今後の日本のラグビーの発展に期待をしたいと思います。

2003.05.13
image photo 新入社員研修を行ったある会社の受講生達から手紙が届きました。
今日こんな返事を書きました。

 皆さんお元気ですか? 先日は手紙を頂きありがとうございました。ゴールデンウイークも過ぎ、会社にも少し慣れてきた頃ではないかと思います。5月病になんかにかかっていませんよね。

 私が入社した頃(21年前)神戸製鋼でも新入社員研修期間が長く、半年くらいは研修をやってました。5月に日本代表のNZ遠征があり、工場研修を半分休み、帰ると髭を剃れと言われて剃りました(もっともまたすぐに生やしましたが)。結構うるさい職場で、「会社でラグビーの話をするな」と言われ、肝心なラグビー部はみんなに本気さが見えず、また私は人と話をしコミュニケーションを取る事が上手な方ではなかったもので、職場になじめず、練習から帰ると寮の部屋で一人酒を飲んで酔ってた事も少なくありませんでした。まあラグビー部に同じ年の人間がいなかったと言うのも寂しい思いをした原因でもあったのですが。

 当時は自分から行動を起こさなきゃと言う問題意識と、なかなかうまくいかない現実とのギャップを埋められず、悶々とした気持ちで過ごす事が多かったように思います。ただこのままではいけない、変えていかなきゃと言う気持ちだけは持ち続けていたように思います。

 その後いろんな事に出会いながら人生を歩んできました。今43歳になって思うのは、やはり自分で創り上げたものしか残らないと言う事です。

 人から色々と教えてもらい、また本を読んだりする事で知識としてはいろんなものを吸収する事はできます。しかし自分で体験しないと、本当にはわからない、腑に落ちない、自分の感性に刻み込んだものしか本物にならない、そんな気がしています。

 もちろん知識として知っているという事も大切な事です。知識を持っていてそれを体験したときに、体の中に染み込むのです。体験だけで知識が無ければ、それが何であったか解らないかも知れません。

 なにやらごちゃごちゃと書きましたが、要は自分で掴むしかないと言いたかったのです。本気で自分で掴もうとした時にだけ、誰かが協力してくれるのかも知れません。

 魂の詩人、坂村真民先生の詩に「本気」と言うのがあります。

    本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる
    変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ
    本気な恋 本気な仕事 ああ人間一度こいつをつかまないことには

 ひざの怪我をしラグビー人生が終わりそうになった時、私も少し本気になれたように思います。私自身もっと本気にならなければと思っています。

 又、鮮やかな人生を生きるためには、3つの「SHI」を持てとも教わりました。

   1つ目は志

 我々は自分自身の意思と力によってこの地上に生まれたわけではありません。大宇宙というか壮大な宇宙生命によって地上に生を与えられたのです。したがって自分に課された使命を突き止めねばなりません。何のために生まれてきたのか、これで良いのか、これで良いのか、これで良いのかと、自分自身に問い続けなければなりません。志は使命と言いかえる事ができると思います。

   2つ目は師

 世の中には素晴らしい人が居られます。命は父母によって与えられたものですが、社会的な命は、尊敬すべき師との出逢いによって与えられるのではないでしょうか。正師を得ざれば学ばずにしかずと言われます。そして求めれば必ず出逢えるものだと思います。

   3つ目は詩

 詩を作れの詩ではなくて、人生が詩になってなければだめだと言われます。己の人生を一遍の詩にしろ、生き様に詩がなければだめだという詩です。

 私自身3つの「SHI」を持っているのかと問われると、実はしっかりと掴んでいるのかどうか解りません。しかしはっきりと言えるのは、求め続けていると言う事です。鮮やかな、幸せな人生を求め続けてきたし、今からも求め続けて生きていこうと思っています。

 まとまりのない文章になってしまいましたが、皆様の益々のご活躍をお祈りしながら、筆を置かせて頂きます。お元気で!

2003.04.10
image photo  神戸の街も桜の美しい季節となりました。

 我が家の近くの桜のアーケードにもたくさんの人が集まってきます。春は、寒い冬から生き物達が目覚め、活動を開始します。桜の花が咲き、新芽が芽吹くだけでなく、学校や企業にとっても新しいスタートの季節です。

 今年も新入社員たちが入社してきました。私にとっても仕事柄、研修で忙しい季節です。先日ある社長さんに新人研修を頼まれ、研修実施に行ってきました。飛行場まで社長さんがお迎えにきてくださり、ホテルまでの道すがらいろいろとお話を伺いました。
 お父さんのやられてた商売を10数年前に引き継いたが、借金はかさむし、売上はなかなか上がらなかった。売上が上がらなければ給料も払えないので、社員に対し売上を上げろ上げろと数字を追いかけてきた。それでもなかなか成果が出ず、借金はかさむばかりで、保険をかけて死のうと思ったこともあったが、子供達への思いが自分を支えてくれた。当然社内の人間関係はぎすぎすし、信頼関係がきずけずに、社員が根付かずにやめていく。仕事のことが気になって気になって、夜も眠れない。朝早く起きて家の中でごそごそすると奥さんを起こしてしまう。
 どうせ眠れないのならと朝早く散歩をはじめた。散歩していると犬を連れた人が、毎朝ごみを拾いながら散歩しているのに気が付いた。どうせ早くに散歩するならと、ごみ袋を持っていってごみを拾うようになった。不思議なことにあれだけ頭を離れなかった仕事のことが、掃除しているときだけは消えて、気持ちがすっきりとする。会社の駐車場の掃除もはじめた。毎日1時間かかっていたのが次第に早くなり、30分で終わるようになったので、便所掃除もはじめた。それも早くなったので、今度は店の前をはき始めた。今度は店の前だけではなく、隣の家の前やもっと広い範囲をはき始めた。すると朝出会う人たちが、ありがとうございますと、御礼を言ってくれるようになった。
 「ああ、こんなことなんだな・・・と感動を覚えた」数字数字と成果だけを追ってきたけど、人に感謝される仕事をしなくては、もっとプロセスを大切にしようと思うようになった。人間関係がうまくいかずに根付かなかった社員さんとの関係も次第にうまくいくようになった。
 そんな時イエローハットの鍵山社長に出会い掃除の仕方を教えてもらった。以来師事し経営のことを教えてもらうようになり、社長は三角形の頂点と底辺の仕事をするようにと教わった。頂点は戦略作り、そして一番底辺は掃除。真中の仕事はみんながしてくれる。
 以来人間関係が良くなり、社員さんも根付き、会社も大きくなった。奥さんからも「あなた変わったね」と言われるようになったとの事でした。今では毎朝3時間、会社や街を掃除していらっしゃるそうです。
 大変良いお話だと思いました。「因縁果報」という言葉がありますが、現象は単に起こっているのではないのです。自分という「因」が有り、周りの環境という「縁」と結びついて、結果としての現象「果報」が起こってくるのです。社長さん自身が毎朝掃除をするという実践を通じ、内面から変わっていかれることによって、それが環境に働きかけ、縁を整え結び合って、人間関係が良くなり、会社も大きくなっていくという、果報が起こってきたのでしょう。
 ある方が言ってました。日本人は、人間は外界と内面をつなぎ合わせて生きているという事が理解できる、数少ない民族だと。人間は、自分を見つめ自分が変わることにより環境に働きかけ、現実を変えていくことができるのですね。そんな目をもって生きていきたいと思います。

 研修の方は自分で言うのもなんですが、大成功でした。女性が多かったこともありましたが、研修終了時ほとんどの方が感動して泣いていらっしゃいました。女性の感性はすごいですね。21世紀、女性が元気ですね。男性も負けずに頑張りたいものです。

2003.03.03
 今年のラグビー日本選手権は、NECの優勝で幕を閉じました。

 サントリー圧倒的有利という世間の声と同じように、私もサントリーの優勝だと思っていました。
 しかし今更ながらに勝負はやってみないと解らないものですね。チャレンジする時の人間の強さと、守ろう、だいじょうぶだと思った時の心理的な弱さを感じさせる試合でした。多分3試合すれば2試合まではサントリーが勝ったでしょう。慢心してはいけない、チャレンジしていかなければいけない、サントリーにしてもそんなこと100も承知だったと思います。しかしそれでも何処かにできてしまう小さな心の隙をコントロールするのは本当に難しいものだと、改めて感じました。
 チームでも、企業でも、良い危機感を持ち続ける事が大切ですね。神鋼も3連覇する時には苦しみましたからね。そういう意味では過去最高の利益をあげながらも、危機感を持っていると言われるトヨタはやはりすごい会社だと思います。
 ところで3月1日2日とイギリス時代たまにプレーしていたロンドンジャパニーズの遠征があり福岡まで行ってきました。ロンドンジャパニーズとはイギリス在住の日本人有志で創られたラグビーチームですが、日本に帰ってきたメンバーも増え、ロンジャパ東京として毎年何試合かを行なっています。久しぶりの試合で、走れなくなった分せこいプレーが多くなり、ちょっと反省しています。しかしファーストトライも出来ましたし(実はノッコンくさかったんだけど)何よりもなつかしいメンバーとの再会と、夜の博多を堪能してきました。またそんな写真も載せようと思っています。覗いていただいてありがとうございます。

2003.02.03
image photo  今日は2月3日節分です。

 節分とは季節が変る前の日を言うんだそうですね。と言うことは明日「立春」という事ですが、まだまだ寒いですね。旧暦が新暦に変って、日にちがずれたために、季節感が無くなってしまったのでしょうか…。
 まあ何はともあれ、私としては後厄も抜ける事でありますし、厄払いをしてもらってた厄神さまに、お礼参りに行かなくてはと思っています。今日は豆まきはしないまでも豆くらいは食べたいなと思いますね。最近は豆まきする家も減ってしまったのではないのでしょうか…。
 私は特別な信仰「この宗教ですよ」というものは持ってませんが、やはり日本人としてなんとなく八百万の神を信じてるところがあると思います。自分勝手な都合だけで、神頼みするのですが、それでも自然の中には神様というか霊というか、そんなものが宿ってるような気がします。暗いところはお化けがいそうで怖いですしね。近年我々は合理的なものばかりを追っかけて、非合理的なものを排除してきたような気がします。本当は街の中に鳥居がある、お稲荷さんがある、という事が人間にとって大切な事ではないかと思う今日この頃です。
 ページ更新するといいながら中々できずにすみません。ネタはあるので近々更新できる事と思います。また覗いてくださいね。

2003.01.01
image photo  皆さん、どんな新年をお迎えになられましたか?

 私は、年末のスキー、年賀状、大掃除、花園でのラグビー解説及び観戦、里帰り……とバタバタとしている間に正月を迎え、休みも終わり、新しい年のスタートとなりました。
 長い冬休みに、じっくりと勉強でもして、今後の事を考える時間を持とうと思ってたのですが、あっという間に休みが明けてしまいました。
 まあ何はともあれ、元気に2003年を迎える事ができました。これが一番大切ですよね。今年も「感即動」行動する事を心がけていきたいものです。
 今年2月で43歳になります。後厄も終わり、社会に役立つ仕事を本格的にしなければいけない年齢だと感じております。微力ではありますが、人に喜んでもらえるよう、前向きに、明るく、肯定的に、思いやりを持って、そして謙虚に、努力していきたいと思います。
 今後共よろしく、ご意見、ご批判、ご指導、叱咤激励下さいませ。
 2003年を共に、素晴らしい1年にしていきましょう。
 益々のご健勝,ご活躍をお祈り致しております。