「単純に東京に行きたかった」っていうのは半分冗談で、甲南てそのまま上(大学)に上がれるじゃないですか。このまま行っちゃダメだというのと、僕のなかでは最終目標はやはり「音楽」だったので、一流と言われるところで己の力を試したかった。ただ音大まで行っちゃうともう後戻りできないので危険な賭けだったと思うのですが、当時は変な自信がありましたね、受かるかどうかも解らないのに卒業したら東京行くんだ〜みたいな(笑)。ピアノの師匠は呆れてましたよ。普通は音大に行く子などは夏期講習や東京の先生に師事にいったりと、何かとお金がかかるんですよ。僕はそのころ六甲アイランドで大学生に混じってホッケーの試合してましたから(笑)。 当時の無謀さはどこから来ていたのでしょうね。
ゆくゆくは映画のサウンドトラックなどを手がけたいですね。僕はあまり海外旅行に興味がなくて、日本の町並みや情緒がすごく好きなんですよ。勿 論、神戸も好きですし、帰るべき港ですから。 そして自分が興味を持った人とどんどんセッションしていきたいですね。
拝啓 林様 初めまして、突然のお手紙失礼します。 僕は現役時代から、神戸製鋼を応援させてもらっていて、ラグビー観戦が好きなのは勿論なのですが、それと同時に僕のなかで、林さんという人間そのものに興味を持ちはじめました。 それは勿論、強い選手だからとか、たくさんのキャップ数とかも含めてですが、時が経つうちに、それよりむしろ林さんの生き様というか、林さんが目を向けているものの先というか、そういうものをいくつもの試合のなかで感じ取りたいという気持ちが、どんどん膨らんでいきました。 林さんがくれた数え切れない感動や勇気は、林さんが書かれた『楕円球の詩』を読むことによってさらに高まり、いくつものシーンが僕のなかで繰り返され、言葉では伝えきれないほど心を動かされました。 ここらへんで自己紹介させてください。 僕は神戸生まれで、仕事は作曲、編曲、演奏をやっております。 実家はいまも神戸ですが、僕は東京に在住しております。 今回、なぜこのようにCDを贈らせていただいたかと言うと、このなかのゴズペラーズ(ご存じですか?) 五人のコーラスグループが唄っている『永遠に』というシングルがありますが、僕はこの曲の作曲をしました。 林さんが現役を引退されることを知ったときに、とにかくいろんな気持ちが押し寄せて、まるで自分のことのように涙が溢れました。 己の極限まで肉体を追いつめながら、走り続けた林さんに、「ありがとう」と「お疲れさま」の気持ちでいっぱいでした。 そして次のシーズン、林さんのいない秩父宮で試合を観ていたら、いないはずの林さんの姿が、風になってフィールドを駆け抜けていくような気がしました。 そのときふと「あなたの風になってすべてを包んであげたい」という言葉とメロディが、僕のなかに浮かびました。 そのときこの曲は、すごくいいものになるかも知れないという気持ちがありました。 しかしまだその時点では、頭の中にしかなかったので、何ヶ月か温めながら、ようやく他の部分を完成させました。 そしてその当時、まだそんなに売れていなかったゴズペラーズにこの曲を歌ってもらおうと思い、彼達とはそれ以前から曲づくりの合宿とかでサポートしていたので、仮唄をレコーディングしました。 サビを五人のコーラスでやると、圧倒的な力強さがあり、思っていた以上のものができあがり、次のシングルはこれでいこうということになったのです。 彼らもそのときデビューして数年、そろそろ売れなければソニーからリストラかもと、レコード会社の人に半分本気で言われていたので、僕の曲が選ばれたということで嬉しい反面、結構プレッシャーでした。 もしかすると彼らの運命を左右することになりかねませんから。でもそのなかにも、僕には「この曲ならきっと」という気持ちもありました。 そうこうするうちに、本番の歌入れも終わり、一枚のシングルが完成しました。そして発売。裸一貫、タイアップなしの状態でスタートしたのです。 それからラジオや有線でじわじわと広がり、結果44週間に渡ってオリコンのチャートを駆け抜けました。 彼らにも僕にとっても、初めての「ヒット曲」が生まれたのです。ここで僕が言いたいのは、もし林さんというひとりの人間が存在していなければ、この曲も生まれなかったし、彼らのブレイクもなかったかも知れません。 とにかくお礼が言いたかったのです。林さんはいろんな人にたくさんの感動や勇気を与えてくれました。 僕もそれを受け取ったなかのひとりだと、僕のなかの背番号4は、いつまでも林さんただひとりです。 本当にどうもありがとうございました。 感謝を込めて。 ”あなたの風になってすべてを包んであげたい♪”
妹尾 武
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