平尾誠二氏との対談
月刊「神戸っ子」
“林のヒューマン対談”第1回より



平尾との出会いは同志社大学時代だったね。平尾が3年のとき、伏見工業は練習試合しによく岩倉の同志社グランドに来てた。大学の1、2年生の混合チームと練習試合するんだけど、どちらが大学生かわからないくらい、強かったしふてぶてしかった。同志社は負け続けて、最後は2本目半くらいのメンバーを組んでやっと勝った。みんな大喜びしてるのを見て複雑な気持ちだった。その後花園の全国高校選手権で優勝して鳴り物入りで同志社に入ってきた。当時から有名で目立っていたし、他のやつらと違う独特の雰囲気をもってたよな。大学では1年間一緒にプレーしたけど、話を聞くときの食い入るような目が印象的だった。

平尾 林さんととの出逢いはもう22年ほど前ですね。高校の時から知ってはいたのですが、一緒にプレーしはじめたのは大学に入ってからです。当時の林さんの印象は、とにかくすごいプレイヤーで、キャプテンであり、日本代表でしたね。あらゆる面で、みんなが信用していましたし、素晴らしい人でしたが、あまり計画性がない人だとは感じていましたね(笑)。林さんはグラウンドに出てきたらすぐに走り出すのですよ。他の部員はキャプテンが走ってるから、金魚の糞のように付いて走らなければならないじゃないですか。何も話もせずに走り出すものですから、みんな林さんがいつ出てくるか、気が気じゃなかったですね(笑)。僕らが1年生の時は、すぐに付いて走れるように、いつもグラウンドの入り口でたむろしてましたよ。その走りも早くて、みんなついていくのに必至なのですが、4分の3周ほどで急にスピードが落ちるのですよ。林さんを先頭に長く伸びていた列が、1周する頃には団子状態になるのですが、その光景が妙に印象に残っています。

あれは練習に緊張感が出るかなと思ってやっていたのだと思うよ。今から練習するから緊張しといて即座に反応しろよ……という風な気持ちだったんやろな。

平尾 林さんは時間には正確で、3時から練習なら、3時ピッタリには出てきていましたね。

平尾がラグビーを始めたのは中学からかな?

平尾 中学からですね。地元の公立中学にたまたまラグビー部があったのですよ。ただそれだけの理由ですね。林さんの場合は、お父さんがラグビーをしていましたが、僕はそういうものはまったくなくて、中学に入って、ラグビーを見て、直感的に面白そうだと思ったのですよ。はじめに先入観がまったくなかったのが、良かったのかも知れませんね。

俺も親父がやってはいたんだけど、自分が始めたのは親父には全く関係なく、たまたまラグビーに出会って、勝手に始めたんだよ。平尾は京都生まれだけど、高校進学でいろんな選択肢の中から伏見工業を選んだことは大きい事だったと思うな。

平尾 そうですね、僕にとっては山口先生がいたことにつきますね。人間は計算高すぎるといけませんね。そのときの感情や感性で、いろいろなことを決断してきたと思いますよ。でも親は偉いなあと思いますね。思う存分好きなことをやらせてもらいましたから。ただ怪我をしてラグビーができなくなったときも、自分で考えなければならないよとは言われていましたね。自分で選んだ選択ですから、責任はつきまといますよね。その分、言い訳もできないし、がんばれるのだと思うのですよ。最近は、親が子供の選択肢を決めることが多いじゃないですか。それでは上手くいくことの方が少ないのですよ。がんばりきれないのは、自分の選択じゃないからですよ。何事も経験しなければわからないですから、自分で選択したことにはリスクがつきまとうことは、子供の頃から教えなければならないと思います。小さな判断をしていくなかで、少しずつ大きなことに向き合っていくのですよ。小さな判断は日常のなかでできます。家庭のなかでいちばん大きな教育はそこだと思うのです。

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場を与えてあげたり、いろいろなものを見せてあげるのは親の責任だと思うね。まず最初は、親がいろんなものに出会える環境、選択肢を与えてあげなければならないからね。平尾が昔「人との出逢いにおいて失敗はしていない」と言った言葉を覚えてるよ。山口先生、岡先生、松本さんにしても、神戸製鋼に来たのも出逢いがあったからだしね。良い出会いをしてその中でいろんな物を身に付けてきたよね。

平尾 そういう面では本当に恵まれていると思っています。

平尾とは共通しているところがずいぶんあって、俺も伏見じゃないけど山口先生にはずいぶん影響を受けた。俺はもともとサッカーをやっていたのだけど、チームでけんかしてやめてしまったときに、たまたまうちの中学には県下に1校だけのラグビー部があり、誘われてはじめたのがラグビーの出会い。サッカーはショルダーチャージしか許されなかったから、思い切りぶち当たれるラグビーは面白くて仕方なかったな(笑)。高校でも楽しいだけのラグビーをやっていたのだけど、高3の時ジャパンのオーストラリア遠征メンバーに選ばれて、山口先生に出逢って初めて高いレベルのラグビーをやった。心を揺さぶられたね。遠征から帰る時ラグビーを続けていこうと決意したんだ。

平尾 山口先生とは、高校の時に出逢えたのが良かったのだと思いますよ。ラグビーのプレーのことより、人間としての根本的な姿勢を学んだことの方が大きかったですね。大学時代の岡先生は、技術的なことに関しても研究をしてていろんな答えを持っていた。出会いの順番も良かったと思いますね。

ポジションが違うと試合の中での思いも違うと思うけど、平尾はいつもゲームメイキングを考えていたと思うんだ。俺のポジションはロックで、その場でのプレーにどれだけ熱く体を張っていけるかを考えていたね。

平尾 はじめは僕の考え方も狭くて、岡先生の理論とかみ合わないこともありましたね。そういう意味では、同志社に入って、僕自身の考え方も良い意味で大きく変わりましたね。

以前平尾が岡先生の事を「あの人は何しはっても成功したと思いますよ」と言ったことがあった。

平尾 考え方そのものがロジカルで、発想力もすごく高いですね。岡先生の言う好きな言葉なのですが、「しゃーないやないか」と言うんですよ。あの「しゃーない」はやけくそになったときの言葉ではなく、やるところまでやったあとの「しゃーない」だと思うんですよ。ラグビーの原点として忘れてはいけないことは、機械ではなく人間がやっているということなんです。そうするとゲームのなかで「しゃーない」ことも出てくるのですよ。くよくよして次のスタートが切れない事が愚かなんで「しゃーない」ことは忘れて、次にやれることをやるしかないんですよね。「しゃーない」ことを起こさないためにどう対処するかなんですが、最期は割り切りなんですね。もうひとつ好きなのは「それ、おもろいやんけ」とよく言うんです。「おもろい」からそれをやれということです。そういうちょっとした遊び心と、「しゃーないやないか」という、理詰めで目くじら立ててやり過ぎないところに、合理的なものを感じるんですよ。

いま危機管理とよく言われているけど、危機管理なんて本当はできないと思う。先に何があるかなんて、基本的にわからないからね。でも時は待たないからどこかで腹をくくるしかない。それを覚悟と言うんやろうね。こっちだと決めてやったことに関しては「しゃーない」よな。

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平尾 最近思うのは、いま我々の社会には閉塞感があるじゃないですか。不景気や教育の問題、イラクの問題などもあります。日本の政策があまり良くないこともありますが、いちばん良くないのはマスコミですよ。何でもあげ足をとってしまう。それを鵜呑みにする我々国民にも責任があります。自分の価値観を持ってないから判断しきれないところもあるんですけど、やはり大局観が必要ですよね。そして政策の立案側も含めて今足りないものは覚悟ですよ。覚悟が足りないですよ。先日亡くなった奥大使とはイギリス時代から親しくしてましたがイラクの問題どう思いますか。

これはむずかしいな。一般的なことは言えるけどね。結局、総論的なことを言うと、武力で平和を勝ち取ることはできないよ。共存していかなければどうにもならない。異質なものを認めあい協創する思想や哲学を、みんなが持たなければ上手くいかないよね。真実は矛盾をはらんでるんだから、理屈では割り切れない。理屈の正しさは50年後には半分以上変わっちゃうんだから。矛盾をはらんだ真実を生きる力がいるよね。

平尾 理屈は時代とともに変わっていくということをわかっている人ならいいのですが、同じ理屈をずっと言っている人もいますよね。すべてのことが矛盾をはらんでいるんだから、どんなことでも割り切れることはなく、余りが出てくきますよね。その余りをどう対処するかとなると、吸収して、取り込んでしまうしかないと思うんです。しかしいまの組織には、吸収するキャパシティがない。だから何とか割り切ろうとする。国も組織もそのキャパシティーをもたなければいけないですよ。個人レベルでもしょうもないもめ事が起こりますが、それはキャパシティが小さいせいですよ。もうちょっとお互いのキャパシティが、少しずつ大きくなれば仲良くやれるのです。自己顕示欲の対決が目的化してしまって、本当の大儀が果たせなくなってきているのですよ。僕に言わせれば大局観が足りないですね。

公共に開かれていったらいいんだけどね、公の事を考えれたときに、大きなことができるのだろうね。

平尾 チームもまさにこれと同じですよ。自分のチームのことしか考えられない人が多い。これはものすごくややこしいことです。トップリーグのことを考えていま動き出しているのです。ひとつひとつののチームはコンペジィターだけど、今やらなければならない優先順位はここだろうという事を皆で持たなければいけないと思うんですよ。パイを大きくしてから食い合ったらいいのに、誰かが食い始めると食わなきゃ損だとちっちゃな所の食い合いを始めるんですよ。俺が俺がと言うのは僕に言わせたら懐がちっちゃいですね。

政治でもなんでも、そういうことが多いんじゃないかな。私利私欲のためにやってしまうことが多いんだろうね。私欲を超えて大儀に基づいて行動すると言うのはのはなかなか難しいな。5歳の子供でも知ってるけれど、60歳の人でもなかなかできないな。

平尾 僕もなぜそうなってしまうのかを考えたのですよ。僕らの社会はパーソナリティが絶対的に弱いんですよ。アメリカ人等の西洋人との違いは、役割における一人称が多すぎること思うんです。英語では「I」は一人称単数で、どこに行っても変わりません。日本の場合、一人称単数は不規則で、場合や肩書きによって変化します。例えば平尾という個人よりも、ジャパンの監督と言う肩書きの方が強いんです。監督を辞めたら、あるいは社長辞めたら、年賀状の数が一気に減ると言うようなことがおこるんです。それをわかってるからこそ、日本人は地位を放したくないんですよ。外国ではもっとパーソナリティが強いですよ。肩書きから外れるとバリューは徐々には落ちていくんだけど極端には落ちない。落ちていく角度よりもリスクを手放すメリットの方が大きいから、地位の入れ替わりも、早いペースで潤滑に行われるのです。パーソナリティーが弱くて肩書の方が圧倒的に強い割合を持つのが日本の社会で文化のような気がします。そういう社会ではあるんですが、パーソナリティーをもっと強く出すことによって、パワーシフトを変えていけないかと思うんですけどね。

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日本の社会も、昔からそうだったわけではなく、どこかの時点からそうなってしまったような気がするな。随所作主と言うけど、どこに行っても、平尾は平尾、林は林でいることがいちばんいいからね。円で自分の立場を書かせると、大きな会社の円のなかに、小さな自分の円を書く人が多いみたいだね、自分の中の一部に会社があるんではなくて。立場や肩書きに縛られるのは問題だね。ところで平尾が神戸製鋼に入ってきたときにはいろんな経緯があったけど、ラグビーが今みたいな状況だったなら、もっと違う選択肢があって違うことをしてただろうな。

平尾 神戸製鋼にはいるときは、林さんにもよく相談にのってもらいましたね。昼間から三宮の高架下の寿司屋に行きましたよ。僕がいいものばかり頼むのに、林さんはげそとか安いネタばかり頼むから、僕も遠慮しようかと気になったことを思い出しますよ(笑)。話の中身よりも寿司のオーダーを良く覚えてますよ。またげそ食ってはるみたいな(笑)。

寿司は安い方から頼むのが癖になってたんやな。平尾はほんと目立っていたし、大学時代からちょっと雰囲気が普通とは違ってたね。

平尾 僕が大学に入ったとき、林さんもいましたけど、5年生で萩本さんがいたんですよ。あの人も怖かったですよ。いい人なんですけど、滅茶苦茶自分に厳しい人で、パスの練習をしていても、自分のミスでボールが反れたときは、「俺のミスやから俺が取りに行く」と言って、自分でボール拾いに行くのですよ。1年と5年の関係だったので、それには感動しましたね。はじめはなんで5年がいるのかと不思議でしたけどね(笑)。懐かしい話ですね。

同志社の雰囲気は、他の大学とは違ったよな。先輩後輩の陰湿な部分はなかったね。ファミリー的で、まあそれも行き過ぎてはいけないんだろうけど。

平尾 あの頃は、能力としては子供なのだけど、頭の中で大人としてのルールを作っていたような気がしますね。みんな経験はないものの、ルールは守ろうという意識が働いていて、それがチームの規律になっていたように思うのです。それがどこかでおかしくなったのが同志社が優勝から遠のいてしまった原因のように思いますね。子供たちが子供のルールではじめてしまい、規律がまったくなくなり、それが自由だという妄想に駆られてしまったように思うんです。自由を勝ち取るということは、ものすごく困難なことだと思うんですよ。義務を果たした人だけが自由を得られるのであって、自由気ままではいけないと思うんです。

ピリッとしたものはあったよね。何かがあれば怒ったし、上下関係もあったからね。酷い大学チームでは先輩が後輩をいじめるようなところもあったみたいだけど、そういうのではなく、いい意味での上下関係だったよな。俺が1年のときも、合宿初日から倒れる奴がいるほど厳しくて、筋肉痛で階段這うように上ってたのを覚えてるけど、そういう緊張感や厳しさって必要なのだと思う。怒らなくなって、優しくなりすぎちゃいかんよね。まあバランスがとれていることが大事なんだろうけど。

平尾 自分たちのいいバランスというのは経験していかなければわからないですよね。だからいまの若い子達にも、まずはやってみろと言うんです。それで駄目だったまた変えていったら良いんです。でもそれはやって見ないとわからない、それをびびっていては駄目ですよね。

平尾は俺とは人間のタイプも違うし、ポジションも違うからどうなのだろうと思うんだけど、個人と集団というテーマがあるよな。以前話をした時、岡先生の個人を大切にした考え方も、大西鉄之助さんのカリスマ性も、もともとは戦争体験から来てると思った事があった。個人がしっかりと自立していなきゃいけないのはもちろんだけど、「考え方が違うよ」では全体としての力が出てこない。俺はどちらかというと、熱くなっるのが好きで、感情を共有する事がプラスアルファーの力を作るんだと思うんだけど、そういう意味からも試合前は、涙を流しながらキックオフを迎えるのが好きだった。全体主義は行き過ぎてはいけないけど、力を出すためには集団の力学を上手く働かせなければいけない。そういう意味では、個人的にはある種カリスマ的な引っ張って行き方が好きやねん。

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平尾 僕がリーダーシップの話をするときに思うのが、いまリーダーシップはとりにくい時代になってきたと思うんですよ。カリスマ的なリーダーシップの取り方は非常にむずかしくなっていると思います。カリスマが保てなくなってきたのは、情報社会になってきたからだと思うんです。秘密の部分がなくなってきましたから。名前が出れば出るほど、全部裸にされる時代ですから。昔とは違ったリーダーシップの取り方が、これからは必要だと思うのです。人間には俗っぽいところもありますから、そういう部分も活かしながら、どうリーダーシップを発揮していくかということが大事です。リーダーシップもこれからは多様化していくと思います。ラグビーの世界では、チームリーダーと、ゲームリーダーなど、場面によってリーダーが違うということもあるでしょう。僕自身は、チームと個人の関係では、どちらかというと個人よりの思想なのですよ。個人ありきのチームであると思っているのです。ただししっかりと自立したものを持っていなければ成り立たないのですけどね。

それぞれの役割を果たせる、自立した個人の集まりは強いと思うよ。和して同ぜずと言うけど、自立してない人間は同じるだけで、本当の和を作れない。自立した者同士が相手を認め合い、結び合った時、初めて和ができるんだよね。

平尾 すり合わせるという言葉がありますけど、これはお互いの意見を出し合って建設的なものを生み出すという作業ですよね。すり合わせはコミュニケーション能力とお互いのキャパシティがある程度なければできないのです。すり合わせしに行って、対決して帰ってきてしまう人も多いではないですか。どちらかに問題があるのですよ。

すり合わせすることは妥協じゃないよね。よくコラボレーションって言うけど、コラボレーションするためには人の良いところを伸ばしてあげようと言う、優しさや思いやりがないとできないよね。わかってるんだけど、行動に移すのはなかなか難しい。ところでそろそろ神戸製鋼の話をしたいんだけど、講演や研修でラグビーの話をするときに、必ずするのが神戸製鋼初優勝のときの話で、忘れられない思い出になっている。結局俺がキャプテンのときには優勝できなかった。そして平尾がキャプテンになって、初優勝したときに、表彰式の前に俺のところへ来て「林さん、表彰状もらってきてよ」と言ってくれたよなあ。

平尾 僕が入って3年目だったと思うんですが、優勝なんてものはそれまでの蓄積ですから、たまたま巡り合わせでそのとき僕がキャプテンだっただけなのですよ。その年まで、林さんやその前の東山さん、あるいは神戸製鋼としてやってきたこと等、いろいろなものが集結されたのですよ。面白いことに、大八木さんも僕と同じ様なことを考えていたんですよ。朝の体操の時に、「今日勝ったらどないするんや?」と大八木さんが言ってきたんで、僕は「林さんにもらってもらおうと思う」と言ったら、あの人もそれを僕に言いに来たらしいんです。あの人は、ああ見えても細かいところがあるじゃないですか。思いを巡らせるというか、細かいところに気が回るのですよ。だから優勝した瞬間に思いついたことではなく、僕と大八木さんの間では、その日の朝から話していたことなんですよ。でもね、その朝の瞬間から、僕らのなかでは「勝つ」というモードはできあがっていましたね。そこまで具体的なイメージができあがってましたね。

そんな事言っても自分がもらいに行くべき表彰を人に譲る事は、ちょっとできへん事やで。偉いわ。あの時は泣いたよ。良い後輩を持って幸せやな。

平尾 僕はまだ25歳でしたから、それを上の人が本当に盛り立ててくれたという思いが強かったですね。途中シーズンあんまりうまくいかなかった年だけに余計に感慨深い所がありましたね。

うまくいかないことが危機感を生み、チームをまとめ結果につながったと言うのもあったけど、やっぱり人の持った運てあるよね。平尾は運を持ってたし、部長の平田さんも運を持ってたよな。

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平尾 きっかけってありますよね。結果として7連覇でしたけど、はじめの年がなければそれもないですし、次の年も強くても勝てたかどうかわからない。あれは綱渡りでしたね。

初優勝の時は俺も綱渡りだったね。キャプテンで優勝できずにもうラグビー止めようかとも思った。半ばラグビーに冷めてしまっていたし、膝の靭帯が4本のうち3本までいかれてて、シーズンに入って試合をする度に膝に水がたまって、練習を休んだ。3回目休んだときに平田さんに叱られた。「林くん、このままラグビーを止めるつもりか。それは君にラグビーを教えてくれた、中学の先生、高校の先生、同志社の岡先生に失礼やとはおもわへんのか?」と言われた。それがズキッと胸に刺さって、そこからは必死になってリハビリをした。もう一回やろうと思った。あそこでラグビーやめてたら、俺はラグビーを一生恨んでいたと思う。やめるかどうかの瀬戸際よ、本気になって、それまでの3倍の練習をした。俺のラグビー人生のハイライトやね。

平尾 いま思ったけど、林さんの綱渡りが、うちのチームの綱渡りでしたね。林さんがうまく渡れたから、我々チームがうまく渡れたんですよ、それが連動してますよね。いつも林さんのプレーを注目しているわけではないのですが、シーンシーンで、僕のなかで林さんのプレーがものすごく印象に残っているのですよ。7連覇のなかで印象に残っている試合を三つ挙げろと言われたら、まず初優勝の時の、三洋電気との準々決勝がトップに来ます。その次がV3の決勝戦ですね。このふたつのゲームのなかで、必ず林さんのプレーが出てくるのですよ。林さんが突っ込んでいって出てきたボールで僕はトライするんですよ。林さんの突っ込みで相手がうろたえる場面が多い。後ろから見ていて、局面が変わるのがわかる、忘れられないプレーが多いですね。

正直初優勝の時は、次の年オックスフォードに留学する事が決まってた事もあって、神鋼のジャージを着るのは最後だと思ってたからね、鬼気迫ってたと思うよ。

平尾 初優勝の年の三洋との準々決勝戦は、神戸製鋼にとって大きな分岐点になったと思いますよ。このゲームで神戸製鋼は変わりましたね。それまでは個人とチームのバランスでは、個人のエゴの方が勝ってまとまりの無いチームだったのです。それがあの試合でチーム全体がひとつの方向を向いた気がしましたね。

スター軍団と呼ばれたりもしていたけど、それまでも神戸製鋼はいろいろな試みをやってたのですよ。そういう意味では斬新なチームだったと思う。

平尾 そうですね、だから僕がキャプテンの年に優勝したのも、巡り合わせのようにしか思えなかったのですよ。それまでにも神戸製鋼はいろいろな試みをしていましたから。だから7連覇の裏には、チーム内での試みが本当に多かったですね。失敗したことも多かったですよ。そういったことが蓄積されているのだと思うのです。だから優勝までに経験値としてその準備があったのですよ。だからこそ7年続いたのだと思うのです。試行錯誤しながら、ある方向性を持ってチームが動いていたことは、間違いないと思います。勝つことというのは、本当にむずかしいことですよ。神戸製鋼の歴史からいうと、何十年もやって、その年にやっと開花したようなものですから。

勝てなかった時代は、いろいろな試行錯誤も、「そんなことやってるから勝たれへんのや」などと言われてたよ。ぼろくそ言われていたのが、勝ったら「素晴らしい!」に変わるからね(笑)。

平尾 勝てば「勝手なことばかりしている」から「自主性」という言葉に変わるのですよ。マスコミの怖いところです(笑)。僕はいまチームを作る方の人間ですが、勝てない理由を掴み損ねることが、いちばん危険なことですね。感情的になりすぎるといけないし、感情が入らなくてもいけないと思うのです。感情がはいらなければ、思い入れが入りませんからね。岡先生の言葉ですが、人間がやっていることということを前提にしなければ、本質はつかめないのですよ。問題の本質をしっかりと掴むためには、冷静さも、思い入れも大切です。それを掴み損ねるとものすごくロスが多くなります。それを取り戻すのには2年も3年もかかりますから。指導者はチームのなかからも見なければなりませんし、外からも見なければなりません。しかし本当の問題はなかに入らなければ見えませんよね。

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僕は今人材教育の仕事をしてるんだけど、研修をする上で心がけているのが、今言ったパティシペーションとオブザベーションの瞬時における切り替えだよ。感情移入しなければいけないけど、それに流されてはいけない、瞬時して引いて観察する、この切り替えやね。それともうひとつが啄機。雛鳥が殻を割ろうとするその瞬間に、親鳥が殻をつついてやらないと、殻は割れずに雛は生まれる事ができない。その機を見ると言う事。

平尾 個人を向上させるためにもそこを出入りしなければいけないけれど、チームを向上させていく上でも同じ事が言えて、リーダーは、1人出なくてもいいんだけど、チームの中からも見ないといけないし、また外に出て観察しなくてはいけない。そういう意味では人間を向上させていくのも、チームを向上させていくのも解決法としては一緒だと思いますね。

もうひとつ話をしたいのはやはりラグビーの今後についてだね。ジャパンも含めて日本のラグビーをどうしていったら良いと思う。

平尾 ひとつはっきりしているのは、ターゲットをしっかり絞っていかなければならないということです。今回のワールドカップでは、相手の実力を考えると、日本のチームは、よくやったと言えると思うのです。日本のラグビーの存在も、それなりに理解してもらえた節もあると思います。次のワールドカップは4年後ですが、むしろワールドカップの招致活動をしている8年後の2011年にターゲットをしぼってやっていくことが、しっかりとした実力の向上につながると思うのですよ。学生でも対抗戦・リーグ戦と言うのを辞めて一つのリーグにするべきでしょう。定期戦はスケジュールの空いた所でやればいい。それぞれのチームのことだけを考えるのではなくて、日本のラグビーを強くするにはどうすれば良いかという、大局観を持った考え方をしていかないと、変えることができないでしょう。

日本のラグビーは、大学の対抗戦の人気が牽引してきたところがあるから難しいところもあるけど、変わっていかなきゃいけないんだろうね。トップリーグの構想もずいぶん前からあったけど、やっと実現した。タイミング的にどうかというのはあるんだけどね。

平尾 協会も政治とよく似ていて、いい話でも実施レベルになるとなかなか話が進まない。総論賛成各論反対となるんですよ。

日本リーグ制はサッカーが早くに導入したけど、Jリーグが始まるまでは、閑古鳥が鳴いていた。上手くやらなければ、ラグビーも、その道を歩んでしまう可能性はあるな。

平尾 ただね、それを飛ばしてはJリーグには行けなかったと思います。Jリーグにしても本当に上手くいっているのかというと、ほとんどのチームが独立採算できていないですよね。新しいスポーツの形態をつくっていかなければならないと思うのです。例えば兵庫県や神戸市が地域密着型のクラブをやり、企業が支援しながらそういうチームをつくっていくことが大事なのですよ。支援するのは企業だけど、対象は地域であるべきなのですよ。そうする事によってパイが広がっていく。会社もスポーツチームを持つ意義を変えていかなければならない。それはひとつの社会貢献であり、地域へのお返しであると思うのです。企業でありながら、独占型ではなく、支援型のチームを作っていくべきなのです。それが神戸製鋼のファンをつくるきっかけにもなります。

スポーツを教育と企業の中に取り込んで、地域クラブが発達しなかったのが日本のスポーツの特長だけど、今後は企業が担ってきた役割を、もっと地域に根づいたものにしていかなければ駄目だよね。

平尾 いま存在価値そのものが変わってきていると思うんですよ。企業スポーツもそうで、それに順応し対応していかないといけないですよ。

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いま神戸製鋼には何人ぐらいのサポーターがいるのかな?

平尾 1000人ぐらいですね。1万人ぐらいなければいけないですよね。ラグビーよりも当然野球やサッカーのファンの方が多いです。ただどんな状況でも見に来てくれる人がいます。視聴率もラグビーの試合は低いのですが、ただ夜中でも数字は変わらないのです。それだけコアな人間がいるのです。だからラグビーは宝塚のようだと言うんですよ。本当に好きな人が観に来るのです。大衆化というのもひとつの方向だけど、何処にターゲットを絞っていくか、協会が中心になって長期的なビジョンを持ってしっかりやっていかなければだめですよ。人の顔色を見てふらふらするんじゃなく、本腰を据えてやっていかなければならないですよ。覚悟がないとだめですね。

いま、平尾誠二の見つめている先には何があるんだろう。今後の行動、ヴィジョンについては、みんなが期待して注目してると思うんだけど。ラグビーにおいて、プレーヤーとしてはキャプテンが頂点で、指導者としては監督だよね。それをやった後はどうするんだろうと言う事なんだけど。ラグビーかもわからないし違う物かもわからないし、平尾が何をするのか皆注目してると思うよ。

平尾 なんでしょうね。いまはちょっと糸の切れた凧状態かも知れませんね。興味あることはたくさんありますよ。最近いろんなことをやって思うんですけど、問題に突きあたりそれを見つめた時に、いつも人に行き着くんですよ。システムを作っているのも人間じゃないですか。良いシステムを作れるのは人がいるからなんですよね。人に全部回帰していくんです。能力が高くてもモラルがなかったり、良い奴だけど知識がなかったり、考える力がなかったり、知識はあっても常識がない人もいるしね(笑)。根元的に人間に戻るのです。そうするといかに人をうまく育ててやろうかと言う所に行くんですよ。

そういう意味では俺はいま人づくり、教育の仕事をしてるんだけど、理性と感性両方の教育が必要だね。理性の教育は知識の伝達を始めとして有り余るほど行われている。いずれはコンピューターが人間よりもうまくするようになるだろう。しかし感性の部分は体験の中からしか得られない。グランドで泥に塗れて、あるいは人と当たって初めて得られるもの、人間と人間がふれあい、ぶつかり合って、目と目を見詰め合ってでしか、引き出せない物があると思う。面授という言葉があるけどこれこそが教育の本質だと思っている。ラグビーをやる中で一杯心を揺さぶられ涙した。これが俺の感性を磨いてくれたと思う。人と相対して感じさせる力、存在として伝える力、面授する力を持ちたいと思っている。もの作りは面白いって言うけど人づくりほど面白いものはないと思うよ。ラグビーを通してやっている人もいるけど、俺は研修を通じて人をつくっていきたいと思う。−それでは最後に神戸についての話を聞かせて欲しいんだけど。

平尾 そうですね、神戸は日本のラグビー発祥地でもありますね。ゴルフもそうですし、一番最初にサッカーをやったのも神戸ですよね。にもかかわらず今ひとつ盛り上がっていかない。それはいい意味で神戸は成熟しているからだと思うんです。俺は俺じゃないかとなびかない。ハイカラな街でそれぞれが個性をもって価値観をもって生きている。ファッションにしてもはやらないなびかずに俺のファッションを持ってるんですね。個人も街も成熟している、そういう意味では、成熟度が必要な競技のラグビーは神戸にあっていると思うんですよ。だからこそ神戸製鋼ががんばっている価値があるのだと思うのです。発祥の地であるんだから共同戦線をはりながら、ファンの獲得とかに務めていかないといけないですよ。神戸製鋼だワールドだと言ってる時じゃないですね。ラグビー対サッカーであったり、野球なんですよ。その闘いにラグビーは負けていますよね。ちっちゃ争いしすぎて共同戦線組めないんですよ。もっと言ったら今は、スポーツ対テレビゲームとか、スポーツ対携帯電話の戦いなんですよ。スポーツも共同戦線張って、大局観をもってやっていかないといけない。ちっちゃな事にこだわって大局観のないのはだめですね。

まあ神戸の街で、ある意味で神戸製鋼は日本のラグビーやスポーツをリードしてきたよな。

平尾 そうですよ、リードしてきたし、今もそういう存在ですよ。存在はそうですからこれからも、地域的なミッションもまたラグビー界のミッションも背負っていかなければいけないと思います。震災からもうすぐ10年ですが、当初、立ち上がる人、立ち上がれない人を助ける人、そして立ち上がれるのに助けを期待している人もいました。いちばんいけないのはそれに甘えることです。自ら立ち上がることが大切です。ただ震災により、神戸というまちに一体感ができたとは思います。震災から10年という節目のなかで、感謝の気持ちを忘れないようにしたいですね。

俺も早いもので神戸に住んで20年以上になるな。神戸は住みやすいところだね。ねちゃっとしてなくて、適度によそよそしいところが何とも言えないね(笑)。これがいいのか悪いのかわからないけど、このちょっとつっぱった感じが、僕的には好きですね。