「思い」を伝えるという点ではスポーツも経営も同じ
「盛和塾」45号 第28回「あの日あの時 稲盛和夫氏」より
山口良治(京都市スポーツ政策監)
林 敏之(株式会社神鋼ヒューマン・クリエイト)


すべての原点は「感動」
──まず初めに、お二人の現在のお仕事からお聞きしたいと思います。

山口 市長直属のスポーツ政策監として、総合的なスポーツ行政を考える立場ですっさまぎまな施設の管理や計画づくり、市民レクリエーションのお手伝い、子供のスポーツ大会の世話役、お年寄りのゲートボール大会、公式大会における市長代理での挨拶など、さまざまなことに関わっています。また、伏見工高ラグビー部総監督という役割もあります。

 私の会社は、16年ほど前に神鋼の能力開発室というところが分社してできました。神鋼の社内研修と、社外からの受託が半々で人材開発の研修やコンサルティングを行っています。
 教育には知識の部分と感性の部分があると思うんですが、私は以前から感性の部分の教育をしたいなと思っておりました。というのは、14年ほど前に、感性訓練(ベーシック エンカウンター)という“行動科学と東洋哲学・禅を融合した”気づきのプログラムを開発された行徳哲男先生の研修を受けて非常に感動しましたので、私もそういう研修をやってみたいと考えていたのです。
 現役時代、仕事とラグビーを両立させていたわけですが、私にとってはやはりラグビーというのはすごく大きなものでした。引退するときに、鉄を売ることよりもラグビーで受けた多くの感動を、人々に伝える仕事をしたいと考えました。学校の教育ではできにくいこと、ある意味では修羅場をふんだ者にしかできない教育もあるのではないか、人々が感動し本当の自分を発見していくそんな場がつくれたらいいなと思ったのです。
 
──山口先生と林さんの出会いは、どういうきっかけだったのですか。

 高校3年のとき、私は高校日本代表の豪州遠征メンバーに選ばれ、そのときのコーチが山口先生でした。
 その遠征のさよならパーティーのことは、今でも忘れることができません。山口先生はお酒のせいがあったのかもしれませんが私のところへ来て、「なあ林よ、こっちへ来て外人に通用したんはお前だけやぞ、5年後、10年後…俺の後を継いでくれ…青春時代にひとつのことをやるのは素晴らしいことだぞ…」と言ってくださいました。私は最高に嬉しくて、先生に抱きついて泣き、そのときにラグビーを続けようと思いました。
 その遠征を通じて、私はいろいろな人に出会い、「人生とは素晴らしいものだ」と実感できたのです。

──山口先生の場合、長い間教師として生徒の指導をしてこられたわけですが、その原点はドラマにもなった『スクール・ウォーズ』でしょうか。

山口 あれはもう、指導者、リーダーとしての私の原点です。昭和五十年の春、それは忘れられない屈辱の始まりでした。相手の花園高校は全国大会で準優勝2回の名門チームですが、私は「同じ高校生や、頑張れ」と励まして選手を送り出しました。ところが1分もたたないうちにトライを奪われ、あっというまに点差はどんどん開いていきます。「前へでんかい」「タックルにいかんかい」という私の思いとは関係なく、30点、40点と点差は開きます。情けなくて、腹が立って私はわめき散らしていました。
 70点、80点と差が開くうち、周りの歓声が嘲笑に聞こえて、体が震えてきました。「元ジャパン?それがどうしたんや。いくらええかっこうしても、お前はまともにラグビー部の面倒も見れてへんやないか」と言われた気がしたのです。そのとき初めて、私は素直になれました。子供たちの気持ちも考えずに、「おれの言うことを聞かんかい」と思っていた自分の思いあがりに気づいたのです。試合終了の笛が鳴ったときは112対0でなんとも言えない気持ちでした。それ以来、「指導するには、人の心を動かさないとだめだ」と思いました。

「感じる心」のないところに人の成長はない

──山口先生が稲盛塾長と最初にお会いになったのは、いつのことでしょうか。

山口 平成12年、パープルサンガの監督に加茂さんを迎えるときに京都府、市、それに商工会議所をあげて激励会をしようということになり、実行委員長を務めた際に初めてお会いしました。

──昨年、パープルサンガがJ2に降格したとき、講演をなさいましたね。

山口 一月に行われた合宿で話をしました。激励に行ったつもりなのに、結果的にはボロくそに言ってしまいました。

──どんなお話をされたのか、ぜひ聞かせてください。

山口 林君が神鋼に入った昭和57年に、ラグビークラブに講演に行ったときの話をしました。その頃の神鋼は弱いくせに、総監督やら監督、コーチ、それにOBなど周囲の者ばかり大勢いて、肝心の選手は感受性の乏しい集団でした。関西リーグの決勝戦で、林君が強烈なタックルで相手のフォワード二人をつぶしたのに、周りの選手は冷めたままでまったく燃えません。私は「どうして俺も!といって燃えないんだ。そんな状態ではチームとして機能しないじゃないか。選手をその気にさせられないリーダーは、リーダーの資格がない」といったようなことを話しました。
 それと同じようなことを話したのですが、俺はプロだ!という自意識ばかりが目立つ実に生意気な連中だと思いました。そこで、「負けてベンチに戻るときに、一人でも悔しそうな顔をしている奴がいるか。情けなくて泣いている奴がいるか。しらっとして帰って来るお前らを見て、ファンの人がどんな思いをしているか考えたことがあるか」と、かなりきついことを言いました。最後に京都の人たちを、サッカーを通して喜ばせられるのはお前らしかいないじゃないか。必ず1年後にはJ1に帰ってこいよ」と言ったときには、私も涙を流していました。

──それが、昨年の頑張りで現実のものとなりましたね。

山口 西京極のグラウンドに駆けつけると、エンゲルス監督が「先生、やったよ。先生がキャンプで本当のことを言ってくれたから、選手たちはみんなの期待に応えようと一生懸命に頑張ってくれたんだ」と言って抱きついてきました。
 私は、講演でJ1リーグの考えとして、地域での○○教室も大事だと思う。しかし、プロの使命はとにかく勝って、ファンに喜んでもらうことだ」と言いましたが、それが実現して本当に嬉しく思いました。勝って、ファンに喜んでもらう。そして「ありがとう」と言ってもらおうという気持ちがなければ、ラグビーもサッカーもできません。どのような状況にあっても、人間は「ありがとう」と言ってもらえるのは、実に幸せなんですよ。

──林さんが盛和塾に入られたのは、何がきっかけですか。

 私自身、多くの人と触れあいたい、学びたいという気持ちはずっとありました。行徳先生の教えは「とにかく行動しなさい」ということで、積極的な気持ちで動けばいろんな出会いがあり、生きている証が生まれるということは分かっていましたから、知人に誘われたのを機に入れていただきました。

──入塾されてからの印象は、いかがなものでしたか。

 例会の後で皆さんと一緒に飲んだとき、非常にいい雰囲気ですごく楽しく過ごせる場だなと思いました。例えば、「俺は経営というのはこういうことだと思っていたが、塾長の話を聞いて少し違うと思った」とか「塾長がおっしゃったことを考えて、ここが間違っていると思って直したら非常に具合が良くなってきた」というように、経営者の方々が本音の話をごく普通のことのように話しあっておられるのを聞いて、素晴らしいなと思いました。とくに昨年の全国大会で「人生について」と題して話された“運命と因果応報”のお話なんか、胸をえぐられるようで感動いたしました。

──山口先生は、稲盛塾長についてはどのような感じを持っておられますか。

山口 昨年、稲盛さんがパープルサンガの選手たちに話されるのを聞きに行ったことがあります。稲盛さんはそのとき、人間としていかに生きなければならないか、プロとして5年でも10年でもやっていくためにはどのような心構えが必要かという、非常に本質的な話をされました。
 ところが、何人か居眠りをしている選手がいたので無性に腹が立ちました。チームの総帥が、「プロのサッカー選手である前に人間としての生き方を大切にしてください、今の収入は普通の会社ではトップでもいただけない額なんですから、その意味をしっかりと受け止めてください」と話しているのにと思うと、我慢ならなかったのです。

──山口先生はかねてから、技術とか体力とかいう前に、まず気持ちの持ちようが大切であるとおっしゃっていますが、そのことを感じられたわけですか。

山口 そうですね。稲盛さんが自分の人生と会社経営を重ねあわせて、プロのサッカー選手としてのあり方を話しておられるのに、それをしゃんとして聞けない、他人ごとだとしか感じていない態度は許せないと思いました。私は、稲盛さんの話を、自分自身のラグビー生活、教員生活とダブらせながらビリビリして聞いていましたから…。

リーダーの条件は「熱さ」と「優しさ」

──お二人はラグビーのプレーヤーとして、あるいは監督や主将としてチームを引っ張ってこられました。そういうマインドと経営者という立場と、共通するのはどういうことだと思われますか。

山口 どのようなことであれ、一芸に秀でたという人に共通するのは、その「熟さ」ではないでしょうか。そしてその中身は、私は「優しさ」だと思います。私の場合は、ラグビーを通して子供たちに「何かを感じてくれよ」と語りかけ、スキンスップを図りました。
 私は経営については門外漢でまったく分かりませんけれど、子供たちに対しては、「この俺の、胸の中を察してくれよ」という思いでした。おじいさん、おばあさん、それに両親が抱いておられる「この子は将来、こういう子になつてほしい」という思いを、子供や孫に対する夢を共有するという気持ちで接しました。
 ラグビーとの巡り会いが、あるいは私と出会ったことが彼らの人生にどのような影響を与えていくか、彼らがこの出会いをどれだけ大事にしてくれるかということが大きなことなのです。何を覚えてくれたかではなく、何を感じてくれたか、その日その日でどんな感じ方をしてくれたかということが大切だと思って私は子供たちに接しています。記憶は忘れることがありますが、感じたこと、あるいは感じ方というのは体や心にしみついていますから忘れることはありません。また、感じ方というのは、知識のように教えられるものではなく、自分自身で受け止めないといけないものであって、他人に代わってもらえないものです。だから、新しい出会いによって感じたこと、受け止めたことは自分の財産なんです。

──塾長は塾生に対して、「頭で理解するのではなく、自分で感じ、気づいて実践してください」と常におっしゃいます。今、先生がおっしゃったことは、それに通じますね。

山口 稲盛さんが経営者の方々に言われることと、私が子供たちに言うこととを比べることは畏れ多いことですが、たぶんそうだと思います。

──やはり、いくら熱心に指導しても、肝心の生徒たちがその気にならなければ、練習もしないでしょうからね。

山口 教えるということは、夢を語ってやることなんです。具体的な目標を示して、そうなったらかっこういいぞ、お父さんもお母さんも喜ぶぞと言ってそのイメージを膨らませてやり、本人にそのニオイを感じさせることが大事なのです。そして、その過程でどれだけ応援してやれるか、支えてやれるかということが教育だと思います。

 私の研修を受ける人たちは、大人ですからそれなりの判断力はありますし、何かを期待して来られるはずです。その期待が何かということを感じないと、研修はうまくいきません。それから本気でやってみようと思ってもらうための導入というか、受講生とのペーシングが非常に大切です。うまくペーシングができて、よし成果を出すためにやるぞと思ってもらえたら、少々ハードな内容でも乗り越えてもらうことができます。

山口 大人はみな自分なりの世界を持っていますから、よっぽど大きなものを与えないと心を動かしてくれません。
 昨年、成人式で若者が騒いで問題になりましたが、あれは一概に彼らだけを責めることはできません。市長さんが部下の作った祝辞を棒読みするのではなく、「私はこの町をこういう希望のある町にしたいと考えている。ここは君たちが育った町だし、君たちの子供が育つ町だ。君たちの力で、ぜひ立派な町にしてほしい。そのために必要なことは何か言ってくれ。私も精いっぱい頑張る…」という熱い思いを心から語りかければ、あんなことは起きないと思います。

──それは、経営者が従業員に対して語りかけなければならないことだと思います。賢そうに振る舞うだけでは、人は動きませんからね。林さんは、リーダーシップと経営者という点についてはどう思われますか。

 スポーツのリーダーにもいろいろなタイプがありますから一概には比較できませんが、敢えて言うと「のめり込むことができるかどうか」ではないかと思います。言い方を換えれば「浸りきる」でもいいんですが、稲盛塾長を見ていると、例会の空気や塾生との会話にのめり込んでおられるような気がします。子供が興味のあることに対して日を輝かすように、スッと何かに一生懸命になっておられるような気がします。
 それは、八月の北海道塾長例会に行ったときにも強く感じました。やはり、好奇心が旺盛だなと思いましたし、そういった気持ちが京セラの発展につながったのかなとも思いました。
 浸りきるというのは、そのものになりきることですから、感性が鈍かったら浸りきれません。何かに対して熱くなれるということは、素晴らしいことです。私の場合はたまたまラグビーという世界でしたが、神鋼に入社した頃は日本一になりたいという会社と我々とは同じ思いを追いかけているはずなのに、そうはならないチームに随分と歯がゆい思いもしました。
 「人間は感動しているときだけ、自分が自分に戻れる」という言葉がありますが、それを実感として教えてくれたのもラグビーでした。感じるというと、なにか受動的なように受け止められますが、私は感じることは本当は非常に能動的な力だと思います。同じ出来事に出会っても感じる人も感じない人もいます。そして感じない人は行動できませんから、私は常に感じることのできる自分でありたい、行動する自分でありたいと思いました。頭で理解するだけでなく、やはりお腹の底から湧きあがるような熱い思いが必要だと思います。
 そういう意味では、たいへんおこがましいかもしれませんがチームという組織、会社という組織を育てあげて何かに挑むというのは、根っこのところでは共通するものがあるように思います。程度の差はあるのでしょうけども、私には塾長はずっとそのことを語ってくださっているように感じますっだから、経営のケの字も知らない私でも、稲盛塾長の話には何の違和感も感じませんでした。

大切なのは自分で「気づく」こと

──お二人のお話を聞いていますと、ラグビーという激しいチームスポーツで、しかもトッププレイヤー、指導者として長く経験をされていますので、稲盛塾長の言葉に対して、特別にお感じになることがあると思うのですが、林さんはいかがでしょうか。

 私の場合は、「誰にも負けない努力をする」ということを、いつも自分に言い聞かせています。

──あれだけ長い間全日本の代表をされていたんですから、相当な努力をされたと思うのですが…。

 ラグビーは好きでやってきたことですから、特別に努力してきたという意識はあまりありません。やりたいから、やってきたという感じです。しかし、これからはなかなかそうはいかないでしょう。仕事が面白くなるまでには、相当な努力が必要だと思っています。そして、楽しみながら仕事ができればこんなに良いことはないと思います。現役当時、私はボールとひとつになつて、魂を込めて浸りきってプレーして、気がついたらあっという間に終わっている、そんな試合をしたいと思っていましたから。

山口 なんと言っても、思いを込めるというのは本当に大事なことです。

──やはり高いレベルでプレーしてこられたというのは、心底ラグビーが好きだったということでしょうか。

林 単に好きというのでなく、最高の意味や価値をラグビーに感じました。だから体を張ってプレーすることができたと思います。人間は最高に意味や価値を感じると、そのためになら死んでも良いという気持ちになるのです。そんな気持ちを、これからの仕事にどう醸成していくかが、私自身の課題だと思います。

山口 経営というのは計算がなかったら成り立たないと思うんです。ところが、ラグビーの場合はプレーの最中にはほとんど瞬間的な判断を求められます。当然、試合の前にはいろいろなシミュレーションもしますし、ビデオで相手の研究もします。しかし、予測していないことが続けざまに起こるのが試合ですから、ある種の心構えというものがなかったら、混乱して収拾がつかなくなります。私の場合は、ただ「必ず勝つんだ!」というのが支えでした。
 稲盛さんは創業の頃、京都で一番に、日本で一番にと思っておられたそうですが、そういった願望が今につながったのだと思います。そういう意味では、勝ちたいという意欲、それを支える練習というのは、経営におけるフィロソフィやそろばんと同じだと思います。
 私がパープルサンガの選手へのお話を聞いたとき、稲盛さんは「常に創意工夫をしろ」という主旨のことをおっしゃいました。今のような情報化の時代に、他と同じようなことをしていたら絶対に勝てないと思うんです。例えば、この林君がいくら馬力があるといっても、毎試合同じプレーをしていたら絶対に通用しません。ビデオを見て研究し、作戦をたてられたらおしまいです。だから、常に新しいプレーを考え、しかも瞬間的に判断しないことには有利な動きはできないわけです。その意味では、創意工夫というのはスポーツだろうと企業経営だろうと変わらないと思いました。

どんなスポーツや経営でも感性を支える「人間性」がカギ

──今までのお話は、物事に対してどのように感じ、それをいかに行動に反映させるかということが大切だということでした。では、その感じるということの根源は何でしょうか。

山口 何かを見てどう感じるか、誰かに会って何を感じるか、その感じ方は一人ひとりみな違うと思います。となると、結局はその人の人間性が感受性を決めると思います。私は常に、子供たちに何かを感じてほしい、思いを分かってほしいという気持ちで接してきました。
 稲盛さんの場合、自分がたいへんな苦労を重ねられただけに従業員の方たちに大きな感動を与えたんだと思います。また、今の盛和塾にしても、若い経営者の方々に何かを教えよう、伝えようという気持ちよりも、自分のものをつかみ取ってほしい、感じてほしいと思っていらっしゃるような気がします。

 山口先生は、自分の思いをグラウンドでラグビーを通して生徒たちに伝えてこられました。相手の顔を見て、どのタイミングで何をどのように言おうかと考え続けてこられたと思います。
 私の場合は、研修室の中で参加者に対しながら、この人にはどういう言い方をすれば伝わるだろうか、いつ何を言えばいいだろうかと考えていますっ本当は考えると言うよりは感じる方が近いように思うのですが、その根底に大切なものに気付いてほしい、人間として生き生きと生きてほしいという強い思いがなければできないことだと思います。

山口 思いを伝えるためには相手を知る、子供であれば両親やおじいさん、おばあさんのその子に対する期待まで知るということが大切です。だから私は、必ず部員の家庭訪問をしました。おじいさんやお母さんがどう思っているのか、その子のどこに困りどこを認めているのかということを知らなければ、子供に対して的確な指導もできません。そういったことが分かっているからこそ、肩を揺さぶり、手を握って励ますことも、時には「お前のお母さんは、お前のワルを心から悲しんでいるやないか」と言って殴ることもできるのです。そのときの私は、教育長がどう言うだろうといったことはまったく頭になく、「人間として、俺はこの子をどのようにしてやれるか」ということしかありません。

 神鋼は今、監督制を敷いていませんが、それは私たちのときに決めたことなんです。「自分たちも、大学に行けばコーチをするじゃないか。だったら、納得できる練習方法を自分たちで決めよう」ということになったわけです。
 塾長は、会社を作ったときは「自分の技術を世に問う」と言っておられましたが、社員の反発にあって「従業員の物心両面の幸福を追求する」というように、経営理念を変えられました。山口先生は、花園高校にボロ負けして指導方法を変えられました。私は、リーダーシップの原点はそこにあると思うんです。それをひと言で言えば、相手を責めるよりも相手の身になつて考える、非常に単純ですが、私は「思いやり」こそすべての原点ではないかと思います。      

 (了)

TOPへ


■プロフィール
山口良治
昭和18年2月、福井県生まれ。若狭農林高校、日大、日体大を経て岐阜県立長良高校、岐阜工高教諭。昭和42年京都市教育委員会、昭和49年伏見工高教諭に着任。昭和41年にラグビーの日本代表に入りフランカー、キッカーとして活躍。キャップ数13。
昭和56年、伏見工高を率いて高校ラグビーの全国大会を初制覇っ教師・監督として体当たりの熱い指導が多くの感動を呼び、ドラマ『スクール・ウォーズ』のモデルとなり「泣き虫先生」としても有名。


林 敏之
昭和35年2月、徳島県生まれ。県立城北高校、同志社大を経て神戸製鋼所入社。同志社大学3年のときから、ラグビーの日本代表FWとして活躍。ハードなタックルと突進で「壊し屋」と呼ばれた。キャップ数38。神戸製鋼のV7にも貢献ウ平成2年オックスフォード大学留学中に、ケンブリッジ大学との定期戟に出場しブルーの称号を獲得。平成4年には名門バーバリアンズ・クラブ(イングランドの世界選抜チーム)にも招待された。いずれも東洋人初。オックスフォード大学の歴代ベストフィフティーンにも選ばれた。平成9年1月より現職。盛和塾佐賀の塾生でもある。

このページの記事は盛和塾機関誌「盛和塾」45号に掲載されたものです。
山口良治先生、ならびに
盛和塾事務局様よりご了承いただき、掲載しております。