林 敏之氏、オックスフォード大歴代ベスト15に。 |
「ラグビーマガジン」2002年2月号より |
![]() オ大クラブハウスに飾られている写真。 「マル」の愛称で親しまれた。 |
文/村上晃一 写真/出村謙知 12月11日、英国ラグビーの聖地トゥイッケナム競技場では、オックスフォード大学とケンブリッジ大学による伝統の定期戦「第120回ヴァーシティマッチ」が行われた。 |
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林敏之は、'60年2月8日生まれ。四国の徳島城北高校から同志社大に進み、神戸製鋼V7の礎を築いた名LOは、「壊し屋」の異名をとり、日本代表で'80年〜'92年までに38キャップを積み上げた。'89年にオ大に留学。2年目に定期戦に出場。184センチ、100キロは当時のLOとしても小さく、オ大では馴れない左PRを務めた。度重なる怪我で膝が悪く、留学中も何度も膝の関節が外れた。その度に自分で入れ直して再び走る姿はチームメートに勇気を与えた。 「PRでスクラム組むのは大変でしたけど、LOだったからラインアウトがとれるでしょう。向こうのPRでラインアウトがとれる選手はあまりいない。独特のタックルも通じた。気持ちでも負けなかった。認めてくれて嬉しいですね」 ブルーの称号を得た日本人は、林以降、'98年オ大Fl箕内拓郎(NEC)と、'99年ケ大SO岩渕健輔(英プレミアシップ・サラセンズ)の2人だけ。しかし、ヴァーシティマッチで勝利したのは林だけだ。 この試合前のロッカールームでは、クールな雰囲気を漂わせるチームメートに林が括を入れた。自著『楕円球の詩』(小社刊)にはこう書かれている。 《私はこの試合のために「極東」からやってきたのである。もう、お構いなし。感情のままに仲間に抱きついた。私の行動に引きずられるように、いつもは冷静なチームメートも感情が高ぶる。ロッカールームは、興奮のるつぼとなり、そのままグラウンドに躍り出た》 実はこの試合の開始5分にも膝が外れ、あわててチームメートが引っ張って、運良く入ったというエピソードが残されている。 '92年には英国の名門バーバリアンズ・クラブに東洋人として初めて招待されるなど栄光は数知れない。 日本では「ダイマル」、英国では「マル」の愛称で親しまれた林敏之は、ともにプレーした仲間から尊敬されるラグビーマンである。今回の選出がその証だろう。 (敬称略) このページの記事・写真はベースボールマガジン社発行「ラグビーマガジン」2002年2月号に掲載されたものです。 ベースボールマガジン社様よりご了承いただき、掲載しております。 |