林 敏之氏、オックスフォード大歴代ベスト15に。
「ラグビーマガジン」2002年2月号より

オ大クラブハウスに飾られている写真。
「マル」の愛称で親しまれた。
文/村上晃一 写真/出村謙知

 12月11日、英国ラグビーの聖地トゥイッケナム競技場では、オックスフォード大学とケンブリッジ大学による伝統の定期戦「第120回ヴァーシティマッチ」が行われた。
 オ大のリザープには淵上宗志、西岡晃洋という2人の日本人が名を連ねたが、その4日前にはさらに我々日本人を驚かせる快挙が発表された。
 日本人として初めてヴァーシティーマッチ(1990年)に出場し、この試合のピッチに立った者だけに与えられる「ブルー」の称号を得た林敏之が、オ大の歴代ベスト・フィフティーンに選出されたのである。
 これは、ヴァーシティマッチのスポンサーの依頼によって、元イングランド代表キャプテンのフィル・デグランヴィル('90年オ大CTB)、元イングランド代表WTBダミアン・ホプリー('92年ケ大WTB)が選出したもの。12月7日付けのロンドン・タイムズ誌に掲載された。
 林本人にこのことを伝えると、驚いた様子だった。
「それは知らなかった。デグランヴィルは同時期に一緒にプレーした選手です。去年のヴァーシティマッチを見に行って、10年ぶりに再会もしました。それにしても、歴代の有名選手達と名を連ねられて、大変光栄ですね」
 別表の通り、選出されているのは、そうそうたる顔ぶれ。
 オ大では、アイルランド代表の名FBヒューゴ・マクニール、CTBブレンダン・マリン、第2回ワールドカップ・チェアマンのケンドゥル・カーペンター、そして、キャプテンとして高い評価を受ける元神戸製鋼のマーク・イーガン。
 ケ大は伝説の名手揃い。ラグビー史上最高のCTBと言われるマイク・ギブソンは'64〜'79年のアイルランド代表、WTBのジェラルド・デイヴィスはウェールズ黄金時代のトライゲッター、他にもスコットランドのFBギャビン・ヘイスティングス、イングランドSOロブ・アンドルーなどビッグネームが勢揃い。

 林敏之は、'60年2月8日生まれ。四国の徳島城北高校から同志社大に進み、神戸製鋼V7の礎を築いた名LOは、「壊し屋」の異名をとり、日本代表で'80年〜'92年までに38キャップを積み上げた。'89年にオ大に留学。2年目に定期戦に出場。184センチ、100キロは当時のLOとしても小さく、オ大では馴れない左PRを務めた。度重なる怪我で膝が悪く、留学中も何度も膝の関節が外れた。その度に自分で入れ直して再び走る姿はチームメートに勇気を与えた。
 「PRでスクラム組むのは大変でしたけど、LOだったからラインアウトがとれるでしょう。向こうのPRでラインアウトがとれる選手はあまりいない。独特のタックルも通じた。気持ちでも負けなかった。認めてくれて嬉しいですね」
 ブルーの称号を得た日本人は、林以降、'98年オ大Fl箕内拓郎(NEC)と、'99年ケ大SO岩渕健輔(英プレミアシップ・サラセンズ)の2人だけ。しかし、ヴァーシティマッチで勝利したのは林だけだ。
 この試合前のロッカールームでは、クールな雰囲気を漂わせるチームメートに林が括を入れた。自著『楕円球の詩』(小社刊)にはこう書かれている。
《私はこの試合のために「極東」からやってきたのである。もう、お構いなし。感情のままに仲間に抱きついた。私の行動に引きずられるように、いつもは冷静なチームメートも感情が高ぶる。ロッカールームは、興奮のるつぼとなり、そのままグラウンドに躍り出た》
 実はこの試合の開始5分にも膝が外れ、あわててチームメートが引っ張って、運良く入ったというエピソードが残されている。
 '92年には英国の名門バーバリアンズ・クラブに東洋人として初めて招待されるなど栄光は数知れない。
 日本では「ダイマル」、英国では「マル」の愛称で親しまれた林敏之は、ともにプレーした仲間から尊敬されるラグビーマンである。今回の選出がその証だろう。 (敬称略)


このページの記事・写真はベースボールマガジン社発行「ラグビーマガジン」2002年2月号に掲載されたものです。
ベースボールマガジン社様よりご了承いただき、掲載しております。